大塚信頼のブログ


by nobuyori_1
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中国の禁教の本格化



登録された合法的な教会にも(地下教会にも)適用される9つの「許可されていない」規則のリストも示されました。以下の通りです。

1.18歳未満は教会に行ってはならない。
2.共産党員は仕事以外で教会に行ってはならない。
3.「中華人民共和国全国人民代表大会および中国人民政治協商会議」の許可なしに海外の伝道者を招待してはならない。
4.登録された教会の建物の外で宗教活動を行ってはならない。
5.宗教的な書籍や雑誌、商品を違法に広めたり販売してはならない。
6.承認されていない場所ではいかなる活動も許されない。
7.インターネット上に違法な宗教的記述および写真を載せてはならない。
8.路上や道沿いなどに宗教的な掲示を出してはならない。
9.承認されていない研修会を催してはならない。

上記の規制やそれに類する数多くの規制があるにもかかわらず、信徒数は前例がないほどに増加し続けています。

   ある宣教団体のニュースレターより
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中国は共産党員よりもクリスチャンが増えていることに危機感を強め、キリスト教会への締め付けを強め、教会の建物の破壊、集会の禁止などしております。
それでも、中国は世界一のキリスト教信者保有国になると予想されています。
中国のクリスチャンのために祈りが必要です。




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# by nobuyori_1 | 2018-06-18 08:33 | 報告 | Comments(0)

神のかたちとは

「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記1章27節)。

明らかに人はどこか自然の動植物とちがう。そのちがいはなにか。

その素朴な疑問が、人は神のかたちに似せて造られたという表現を取らせた。

神のかたちという表現についてはさまざまな解釈がある。

動物に対する人間の支配を意味する、あるいは神の主権の代理のしるしであるとも言われる。

さらに発展して、神に対する応答性だとか、なんらかの神の一部分であるとか、理性や自由意志のような高い精神性を表すなど様々に意見が分かれる。

要は、人間という存在は尊いのだということなのである。(中略)


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人間の特権は、個体がかけがえのないひとつの命を生きていると自覚できることです。

だからこそ、他の自然のかけがえのない存在に責任をもつのも人間なのです。

人は神のかたちにかたどって造られたとは、自分というものの存在の意味を理解し、それに責任をもつことができるものとして造られたということにほかなりません。

人はロボットではないのです。そのままの存在をなんの自覚もなしに生きることはありません。

なぜ造られたのか、なんのために造られたのか、その意味を理解し得る存在として、この世に生きています。

しかも自分の世界だけを狭く見ているのではありません。造られたものすべてに目を凝らして、そこにある意味や価値を発見する力を与えられています。

それこそが、神のかたちにかたどって造られたものの特権です。環境保全運動が盛んなのも、かけがえのない存在の意味や価値を知るからこそでしょう。


加来周一著「実用聖書名言録」


先日、霞ヶ関の弁護士会館で憲法改正についての講演を聞きました。

現在の日本国憲法は軍隊が暴走しないための歯止めをかけた世界でも極めて優秀なものです。

国際問題に決して武力を用いず、対話と交渉で解決するといった理想的な憲法です。

そのため日本は戦後70年間平和に過ごすことがきました。憲法改正で実質上歯止めが外されれば、再び軍国主義に向かう道を開いてしまいます。

恒久平和主義と立憲主義を保ちつつ、自衛をするための道を、慎重に議論し模索すべきです、というような内容でした。

平和が守られるため祈り、議論を重ね、共に考えていきましょう。



町田カルバリー 週報コラムより


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# by nobuyori_1 | 2018-06-16 19:41 | 週報のコラム | Comments(0)

人間存在の肯定

人がもっとも安心するのは、「あなたがそこにいるだけでよい」という言葉を聞く時であると言われます。

しかし、現代の社会生活は「そこにいるだけでよい」とは言ってくれません。

「そこにいるだけ」は社会の評価基準からすれば怠け者、無力なる者、人生の敗残者でしかないからです。・・

「そこにいるだけでよい」という言葉を怠け者へのレッテルとしてではなく、安心感を得るための最も重要な言葉として用いようとするなら、聖書の創造論に触れる必要があります。

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創世記によれば「神が造ったすべてのものを見られたところ、それは、はなはだ良かった。」と言われたとあります。

英語ではIt was verygood.と表現されます。

goodとは美しいという意味もあり、ここで意味されていることは、存在するものはすべて美しいということです。

存在そのものが肯定されているのです。


マタイ福音書6章26節には「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず倉に取り入れることもしない。

それだのに、あなたがたの父は養っていて下さる」とあります。また野の花は「働きもせず、紡ぎもしない」とあります。

蒔かず、刈らず、倉に納めず、働かず、紡がず」とは、いわばなんにもしないということです。

にもかかわらず神はその存在そのものを受け入れておいでになるのです。

何事かをして役立つことで評価を得る生活とはまったく異なる評価基準がここにあります。


加来周一著「実用聖書名言録」

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得てして自分という人間存在を否定しがちな世にあって、人間存在を肯定していてくれる神様の存在、それを伝える聖書の存在の意義はとてつもなく大きな役割を果たしてきたと感じます。




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# by nobuyori_1 | 2018-06-09 20:23 | 週報のコラム | Comments(0)

アメリカの心理学者、アブラハム・マズローが唱えた「マズローの欲求5段階説」は皆さん聞いたことがあると思います。
  私も大学の心理学でまず、これを教えられました(心理学専修)。

人間は「下位の欲求が充足されるとより上位の欲求を求めるようになる」というものです。

ところで、マズローは1970年に亡くなりましたが、晩年、最上位に「自己超越欲求」を追加し、修正した事を最近になって知りました

ですから、正確には「マズローの欲求6段階説」です。今日はその修正された説を紹介します。

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第一段階は、生理的欲求(食べる、寝るなど生理的欲求)。

第二段階は、安全欲求(身の安全、経済的安全)。

第三段階は社会的欲求(どこかに所属したい、家族や仲間から愛されたい)。

第四段階は承認欲求(認められたい、評価されたい)。

第五段階は自己実現欲求(自分の願いをかなえたい)。

第六段階が自己超越欲求(自分を超えた存在に仕えたい)となっています。


マズローはそのプロセスに宗教的な出会い「至高体験」というものを含めているそうです。


同じくトランス・パーソナル心理学の研究に携わったビクター・フランクルは、人間は自分を超え、献身的に他の人格に奉仕する程度に応じて自己実現が実現されるものとしています。


”自己超越という言葉で私が理解しているのは、人間存在はつねに自分自身を超えて、もはや自分自身ではない何かへ、つまり、ある事またはある者へ、人間が充たすべき意味あるいは出会うべき他の人間存在へ、差し向けられているという事態である。
そして、そのように自己自身を超越する程度に応じてのみ、人間は自分自身を実現するのである。すなわち、人間はある事柄への従事またはある他の人格への愛によってのみ自己自身を実現するのである。
言い換えれば、人間は、本来、ある事柄にまったく専心し、他の人格にまったく献身する場合にのみ全き人間なのである。

人間存在の本質は、自己実現ではなく、自己超越性にあります。
自己実現は、もしそれが目的そのものになると達成されえず、ただ自己超越の副次的結果としてのみ達成されるものなのです。”

(ビクター・フランクル)


自己実現はそれ自体を求めて得られるものではなく、自我を超え、神や他者に仕える結果として実現されるものなのです。


マズローによれば、自己超越的生き方をしている人は人口の2%ということです。


この研究結果を知って、私もいち端くれキリスト者として思わされたことは、イエス・キリストを救い主として信じ救われ、キリストを愛するようになり、その愛の応答として神と人のため献身的に仕える人は、自己実現ではなく自己超越的生き方をすることができ、結果として自己実現されるのではないかということでした。



 イエス様は「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう」(マルコ8:39)と言われました。

 「神の国と神の義を第一に求めなさい。そうすれば、それらに加えてすべては添えて与えられる」(マタイ6:33)のです。  

マズローも指摘しているそうですが、自己実現の段階にいる人も利己的な人は多く、自己実現の段階にある人が増えても問題は多く起こるだろうということ。
自己実現が人間の到達し得る、最高の生き方ではありません。
自己実現している姿が、理想的な人間的な姿でもありません。

幸せも自己実現も、神の御心に生きる時に、副産物として・副次的にに与えられるものです。
その人こそが、永遠の価値のある、最も幸せな生き方をすることができるのです。
人はみな、神と人を愛して生きるように世の初めから造られているので、本来の生き方をする時にすべてのものが与えられるのです。

この研究結果を知って、今までのマズローの欲求5段階説に対する誤解や違和感と疑問、世の中で自己実現ばかりがもてはやされている現象、人間の求めるべき生き方について、聖書と私の体験と理解において、やっと整理ができた気がしています。
マズローやV・フランクルの研究の成果に感謝いたします。
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# by nobuyori_1 | 2018-05-19 14:38 | 週報のコラム | Comments(0)

母の日に想うこと

今日は「母の日」です。

素敵な母親に巡り合えた人もいれば、中には尊敬できないお母さんもいて、とんでもない、あのお母さんを思い出したくないという人もいるでしょう。

英語で「My mother is my mother」 (私のお母さんはワガママです)というのがあります。


自分がお母さんでではない人、お母さんになりたくてもなれなかった人、独身でお過ごしになった人、お子さんのおられない方々のことを含めて

私は「母の日」という表現よりも、「すべての女性を大切にする日、女性を見直す日」、ということを作ったらいいんじゃないかと思いました。          

                                 

                大川 従道

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料理のできない男性の私にとり、料理を作ってくれるというのは死活問題です。

妻や母が作ってくれる手作り料理は私にとっては最高のおもてなしです。

女性は料理を通して愛を表わしているのです。


もしお料理を作ってくれなければ、私のように料理のできない者はパンをかじるか、毎回外に行って外食するか、保存料の入ったコンビニ弁当を食べ続けなければなりません。

安全で健康面を考え、好みを考慮し、家庭にいながら食べられる出来立ての手作り料理は、男性・子どもへの最高のおもてなしであるし、そのような形で私たちは母親の愛を受けて育ってきたのです。

 

畑を始めてからの実感は、野菜を育てるのも、子どもや人を育てるのも、動物を育てるのも基本は同じだということです。

土壌が大切、日光と水が大切、芽が出た後も雑草を抜いたり病気の対応をしたり世話が大切です。

お子さんのおられない方も、何らか育てると良いと思います。

命あるものを愛し育む喜び、成長を楽しむ喜び、関係を楽しむ喜び、実りを収穫する喜びを体験できます。


しかし、人が野菜と違うのは結果が出るのが1年ではなく20年以上かかること。

長い時間をかけ、大変でありながらも楽しみ、わがままな私を苦労しつつも忍耐をもって粘り強く、祈りの中で育ててくれた母の愛はかけがえのないものです。


生んだ以上何があっても支えていこうとする母親の愛は、神様の愛から派生したものです。

産み育てて下さった母親と、神様と、全ての女性に感謝致します。


大塚 信頼


町田カルバリー 家の教会 週報コラム より




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# by nobuyori_1 | 2018-05-13 07:35 | 週報のコラム | Comments(0)