富と貧に処する道
2010年 03月 28日
「わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている」(ピリピ4:12)
この時代、この御言葉が力強く私を支えている。
私は教会員が豊かな祝福に預かり、主の栄光を現すことを祈っている。
不況の中でも100倍の収穫を得たイサクのように、豊かな祝福に挑戦しましょう。
富を得ても富に心を奪われることなく、主のために正しく管理し用いましょう。
しかし今、教会員の中に経済的理由のため長年住んで来た貸家を離れ、生活保護の生活に入ろうとする夫婦がおられる。
長年住んでいればその家への愛着もあり、離れたくない気持ちもあろう。
持ち物を手放さなければいけない辛さはいかばかりであろうか・・・
先日、その夫婦のために祈っていると「わたしは貧に処する道を知っており」というパウロの言葉が力強く迫ってきた。
神様はすべての道を導いておられる。経済的理由のため、あるいは仕事の関係で、引越しをしなければいけない、生活スタイルを変えなければいけない、生活をきりつめなければいけない・・・厳しい現実に追い込まれることはある。
でも、すべてのことは主が導いておられる、すべてのことに主の御摂理があることを自覚するならば、安心して主に身をゆだねたらよい。
この御言葉に立って柔軟に対応したら良い。
「主与え主取りたもう、主の御名はほむべきかな」と。
先週、欽三兄が感動的な証をしてくださった。
「私は以前の仕事をリストラされてから22年たちます。その後、仕事が4回変わりましたがいつも神様は不思議なように次の仕事場を与えて下さいました。
今の仕事も7年も継続しています。夫婦で一緒に働ける職場を神様は備えてくださいました」
主の名はヤーウェ・イルエ(備えてくださる神様)です。
今週も養ってくださる主に信頼して行きましょう
(町田カルバリーの週報より)
この時代、この御言葉が力強く私を支えている。
私は教会員が豊かな祝福に預かり、主の栄光を現すことを祈っている。
不況の中でも100倍の収穫を得たイサクのように、豊かな祝福に挑戦しましょう。
富を得ても富に心を奪われることなく、主のために正しく管理し用いましょう。
しかし今、教会員の中に経済的理由のため長年住んで来た貸家を離れ、生活保護の生活に入ろうとする夫婦がおられる。
長年住んでいればその家への愛着もあり、離れたくない気持ちもあろう。
持ち物を手放さなければいけない辛さはいかばかりであろうか・・・
先日、その夫婦のために祈っていると「わたしは貧に処する道を知っており」というパウロの言葉が力強く迫ってきた。
神様はすべての道を導いておられる。経済的理由のため、あるいは仕事の関係で、引越しをしなければいけない、生活スタイルを変えなければいけない、生活をきりつめなければいけない・・・厳しい現実に追い込まれることはある。
でも、すべてのことは主が導いておられる、すべてのことに主の御摂理があることを自覚するならば、安心して主に身をゆだねたらよい。
この御言葉に立って柔軟に対応したら良い。
「主与え主取りたもう、主の御名はほむべきかな」と。
先週、欽三兄が感動的な証をしてくださった。
「私は以前の仕事をリストラされてから22年たちます。その後、仕事が4回変わりましたがいつも神様は不思議なように次の仕事場を与えて下さいました。
今の仕事も7年も継続しています。夫婦で一緒に働ける職場を神様は備えてくださいました」
主の名はヤーウェ・イルエ(備えてくださる神様)です。
今週も養ってくださる主に信頼して行きましょう
(町田カルバリーの週報より)
日曜日は体調不良で行けなかった。
残念・・・。
仕事と生活保護で言えば、僕は人生と言うのは遠泳のようなもので、頑張りすぎても高波に飲まれたり足が吊ったりして沈んでしまうと思う。
なるべく自分のペースで計画を立ててちゃんと生きたいものです。
※今はある人の嫌がらせによって地に落ちた人生を過ごしているけど。
残念・・・。
仕事と生活保護で言えば、僕は人生と言うのは遠泳のようなもので、頑張りすぎても高波に飲まれたり足が吊ったりして沈んでしまうと思う。
なるべく自分のペースで計画を立ててちゃんと生きたいものです。
※今はある人の嫌がらせによって地に落ちた人生を過ごしているけど。
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nobuyori_1 at 2010-03-29 21:23
by nobuyori_1
| 2010-03-28 06:58
| 週報のコラム
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