神様を一番にする幸せ
2010年 07月 31日
モンゴルで礼拝を持っていたとき、バーラルという姉妹が
汗だくになりながら教会に入ってきました。
礼拝の何時間も前から、バーラルはいなくなった牛を探しに走り回りましたが、
礼拝時間が迫ると、礼拝をするためにすべてのものを投げ出して走ってきたのでした。
そのことを知った私(牧師)は、神様に、
彼女が牛ではなく神様を選んだ信仰の決断が無駄にならないように、
姉妹のため祝福を祈りました。
しばらくして、礼拝が終わるとすぐに外で
牛が鳴く声が聞こえました。
その牛は、家ではなく礼拝する場所にやってきたのでした。
牛ではなく礼拝の喜びを選んだ少女は、
牛と礼拝の2つを手にすることができました。
(リビングライフより)
私は15歳で救われ、毎週日曜日礼拝を守ってきたことが大きな祝福となっている。
受験や仕事で売り出しがある時は、朝7時の礼拝へ行き、
旅行の時は旅行先で教会を探して礼拝を守った。
神様を第一にしたら、神様が全責任をもつかのように、
全生活を祝福してくださった。
「まず神の国と神の義とを求めなさい。
そうすれば、これらのもの(必要なすべてのもの)は、
すべて添えて与えられるであろう。」(マタイ6:33)
この教会に導かれた方は、
是非その祝福を体験して欲しいと願っている。
汗だくになりながら教会に入ってきました。
礼拝の何時間も前から、バーラルはいなくなった牛を探しに走り回りましたが、
礼拝時間が迫ると、礼拝をするためにすべてのものを投げ出して走ってきたのでした。
そのことを知った私(牧師)は、神様に、
彼女が牛ではなく神様を選んだ信仰の決断が無駄にならないように、
姉妹のため祝福を祈りました。
しばらくして、礼拝が終わるとすぐに外で
牛が鳴く声が聞こえました。
その牛は、家ではなく礼拝する場所にやってきたのでした。
牛ではなく礼拝の喜びを選んだ少女は、
牛と礼拝の2つを手にすることができました。
(リビングライフより)
私は15歳で救われ、毎週日曜日礼拝を守ってきたことが大きな祝福となっている。
受験や仕事で売り出しがある時は、朝7時の礼拝へ行き、
旅行の時は旅行先で教会を探して礼拝を守った。
神様を第一にしたら、神様が全責任をもつかのように、
全生活を祝福してくださった。
「まず神の国と神の義とを求めなさい。
そうすれば、これらのもの(必要なすべてのもの)は、
すべて添えて与えられるであろう。」(マタイ6:33)
この教会に導かれた方は、
是非その祝福を体験して欲しいと願っている。
by nobuyori_1
| 2010-07-31 19:00
| 週報のコラム
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