神にとって廃品的存在はない
2010年 08月 26日
「人間は生きている限り、いかなる人間であっても
使命が与えられている」
という言葉がある。
人からは、どんなにつまらなく見られる人間にも、
神にとっては廃品的存在という人間はいない。
多くの人が「私は何のために生きているのか?」「人が生きる目的は何か?」と考える。
私も、高校生の時、それを求め、本をあさったことがあったが、何も明確な答えが見当たらなかった。
イエスキリストを信じ、聖書に出会った時、初めてこれだ、という明確な答えを発見した。
「自分なんていてもいなくてもいい存在だ」と感じていたのは長いこと。
でも、こんな自分を神が愛してくださっている、
ひとり子のイエスキリストを十字架につけてまで愛してくださったことを知った時、
私は初めて自分が神にとって大切な存在であることを実感できた。
神にとっては廃品的存在はいないんだということを実感できた。
使命が与えられている」
という言葉がある。
人からは、どんなにつまらなく見られる人間にも、
神にとっては廃品的存在という人間はいない。
多くの人が「私は何のために生きているのか?」「人が生きる目的は何か?」と考える。
私も、高校生の時、それを求め、本をあさったことがあったが、何も明確な答えが見当たらなかった。
イエスキリストを信じ、聖書に出会った時、初めてこれだ、という明確な答えを発見した。
「自分なんていてもいなくてもいい存在だ」と感じていたのは長いこと。
でも、こんな自分を神が愛してくださっている、
ひとり子のイエスキリストを十字架につけてまで愛してくださったことを知った時、
私は初めて自分が神にとって大切な存在であることを実感できた。
神にとっては廃品的存在はいないんだということを実感できた。
by nobuyori_1
| 2010-08-26 13:14
| 三浦綾子語録
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