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大塚信頼のブログ


by nobuyori_1
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道徳的キリスト教

明治初年に日本へ最初にキリスト教が入ってきましたときは、在来の宗教とキリスト教とは違うんだよということを明瞭にするために、信仰によって義とせられるということの結果、あるいはあれわれを、それまであった日本の一般の道徳の言葉で言い表した。
そこで、キリスト教の信仰の結果を表すのに、一般の道徳として頃を表現してしまったことは、わかりよいという点ではよかったが、また反面、誤って理解されると言うことにもなりかねなかった。
たとえばこういうことがある。
私は、クリスチャンになったら、タバコを吸っちゃいけない、酒を飲んじゃいけないと厳格に教えられた。

また、キリスト教の信仰の結果を一般の道徳の用語で表したということは、それは日本の教会に良い結果をあらわしたとともに悪い結果ももたらした。つまり律法主義を生み出したわけだ。
                                   渡辺善太


”キリスト教とは、一つの宗教ではなく、神との関係である”、という言葉がある。
神の霊的命が宿り、霊的命に満たされ、神との関係に生きることが、キリスト教。
内面的変化が、外面的変化へと現れる。

何しちゃいけない、何々しないといけないという外面的なものだけにとらわれ、外面的なことだけによって裁いたりする律法主義に陥りがちなのは、こういった道徳的なキリスト教の影響のためだろう。
そういう意味で、クリスチャンのほうが外面的なことで人を律法的にさばきがちである。

実としての正しい行いや品性は大切なのだが、それをもたらす根っこの部分である内面的な部分や霊的な部分に対する理解・洞察を更に深め、対処できるようになりたい。
by nobuyori_1 | 2011-07-11 09:18 | 最近教えられたこと | Comments(0)