領収書的祈り
2012年 03月 04日
仏教思想家のひろさちやさんは、祈りには2つの種類があることをこう表現します。
「宗教心というと、今の日本人はすぐに御利益信仰を思い浮かべますが、神様にあれこれ願い事をするのは宗教ではありません。
ああしてください、こうしてくださいとまるで請求書をつきつけるような祈りを、私は『請求書的祈り』と名付けていますが、本物の宗教心というのは、“私はこれだけのものをいただきました。どうもありがとうございました”という『領収書的祈り』なんです」
ところが、ひろさんの「領収書的祈り」とは、過去、現在において既に与えられていることを感謝することを意味しています。これは聖書的にも重要なことです。
しかし、キリストは、未来に対して、まだ目に見ていないことに対して領収書的祈りをするように語られました。この辺りが、信仰の世界です。
町田カルバリーの週報より
「宗教心というと、今の日本人はすぐに御利益信仰を思い浮かべますが、神様にあれこれ願い事をするのは宗教ではありません。
ああしてください、こうしてくださいとまるで請求書をつきつけるような祈りを、私は『請求書的祈り』と名付けていますが、本物の宗教心というのは、“私はこれだけのものをいただきました。どうもありがとうございました”という『領収書的祈り』なんです」
ところが、ひろさんの「領収書的祈り」とは、過去、現在において既に与えられていることを感謝することを意味しています。これは聖書的にも重要なことです。
しかし、キリストは、未来に対して、まだ目に見ていないことに対して領収書的祈りをするように語られました。この辺りが、信仰の世界です。
町田カルバリーの週報より
by nobuyori_1
| 2012-03-04 06:36
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