聖なる読書
2012年 03月 17日
「祈りとは神との友情を育てること」
(アレキサンドリアノクレメンス)
初期のキリスト教では、祈りとは「聖書をゆっくり読むこと」を意味したという。
「聖なる読書」(レクティオ・ディヴィナ)といわれる、キリスト教の長いs歴史の中で大切にされ初代教父や修道院で受け継がれてきた祈り方がある。
聖書をじっくり、ゆっくり読んで味わい、それを黙想しながら、徐々に深く神と交わる。
そして、主を仰ぎ見る無言の境地に入っていく。
導かれれば、みことばへの応答、私たちの願い、祈りを捧げていく。
これはまさに、捜し求めてきた神との会話だった
小渕春夫(出版社あめんどう代表)
私も聖書だけをわきにかかえて、山を散歩したことがある
切り株に腰掛けて、聖書を読み、ふと顔を上げて黙想して味わっては、また読み進める
とてもいい読み方だと思った
それは「聖なる読書」 という方法で、キリスト教における伝統的な祈る方法だったことを知った
(アレキサンドリアノクレメンス)
初期のキリスト教では、祈りとは「聖書をゆっくり読むこと」を意味したという。
「聖なる読書」(レクティオ・ディヴィナ)といわれる、キリスト教の長いs歴史の中で大切にされ初代教父や修道院で受け継がれてきた祈り方がある。
聖書をじっくり、ゆっくり読んで味わい、それを黙想しながら、徐々に深く神と交わる。
そして、主を仰ぎ見る無言の境地に入っていく。
導かれれば、みことばへの応答、私たちの願い、祈りを捧げていく。
これはまさに、捜し求めてきた神との会話だった
小渕春夫(出版社あめんどう代表)
私も聖書だけをわきにかかえて、山を散歩したことがある
切り株に腰掛けて、聖書を読み、ふと顔を上げて黙想して味わっては、また読み進める
とてもいい読み方だと思った
それは「聖なる読書」 という方法で、キリスト教における伝統的な祈る方法だったことを知った
by nobuyori_1
| 2012-03-17 13:24
| 最近教えられたこと
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