大塚信頼のブログ


by nobuyori_1
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マズローの6段階欲求説~自己実現を超える生き方

アメリカの心理学者、アブラハム・マズローが唱えた「マズローの欲求5段階説」は皆さん聞いたことがあると思います。
  私も大学の心理学でまず、これを教えられました(心理学専修)。

人間は「下位の欲求が充足されるとより上位の欲求を求めるようになる」というものです。

ところで、マズローは1970年に亡くなりましたが、晩年、最上位に「自己超越欲求」を追加し、修正した事を最近になって知りました

ですから、正確には「マズローの欲求6段階説」です。今日はその修正された説を紹介します。

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第一段階は、生理的欲求(食べる、寝るなど生理的欲求)。

第二段階は、安全欲求(身の安全、経済的安全)。

第三段階は社会的欲求(どこかに所属したい、家族や仲間から愛されたい)。

第四段階は承認欲求(認められたい、評価されたい)。

第五段階は自己実現欲求(自分の願いをかなえたい)。

第六段階が自己超越欲求(自分を超えた存在に仕えたい)となっています。


マズローはそのプロセスに宗教的な出会い「至高体験」というものを含めているそうです。


同じくトランス・パーソナル心理学の研究に携わったビクター・フランクルは、人間は自分を超え、献身的に他の人格に奉仕する程度に応じて自己実現が実現されるものとしています。


”自己超越という言葉で私が理解しているのは、人間存在はつねに自分自身を超えて、もはや自分自身ではない何かへ、つまり、ある事またはある者へ、人間が充たすべき意味あるいは出会うべき他の人間存在へ、差し向けられているという事態である。
そして、そのように自己自身を超越する程度に応じてのみ、人間は自分自身を実現するのである。すなわち、人間はある事柄への従事またはある他の人格への愛によってのみ自己自身を実現するのである。
言い換えれば、人間は、本来、ある事柄にまったく専心し、他の人格にまったく献身する場合にのみ全き人間なのである。

人間存在の本質は、自己実現ではなく、自己超越性にあります。
自己実現は、もしそれが目的そのものになると達成されえず、ただ自己超越の副次的結果としてのみ達成されるものなのです。”

(ビクター・フランクル)


自己実現はそれ自体を求めて得られるものではなく、自我を超え、神や他者に仕える結果として実現されるものなのです。


マズローによれば、自己超越的生き方をしている人は人口の2%ということです。


この研究結果を知って、私もいち端くれキリスト者として思わされたことは、イエス・キリストを救い主として信じ救われ、キリストを愛するようになり、その愛の応答として神と人のため献身的に仕える人は、自己実現ではなく自己超越的生き方をすることができ、結果として自己実現されるのではないかということでした。



 イエス様は「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう」(マルコ8:39)と言われました。

 「神の国と神の義を第一に求めなさい。そうすれば、それらに加えてすべては添えて与えられる」(マタイ6:33)のです。  

マズローも指摘しているそうですが、自己実現の段階にいる人も利己的な人は多く、自己実現の段階にある人が増えても問題は多く起こるだろうということ。
自己実現が人間の到達し得る、最高の生き方ではありません。
自己実現している姿が、理想的な人間的な姿でもありません。

幸せも自己実現も、神の御心に生きる時に、副産物として・副次的にに与えられるものです。
その人こそが、永遠の価値のある、最も幸せな生き方をすることができるのです。
人はみな、神と人を愛して生きるように世の初めから造られているので、本来の生き方をする時にすべてのものが与えられるのです。

この研究結果を知って、今までのマズローの欲求5段階説に対する誤解や違和感と疑問、世の中で自己実現ばかりがもてはやされている現象、人間の求めるべき生き方について、聖書と私の体験と理解において、やっと整理ができた気がしています。
マズローやV・フランクルの研究の成果に感謝いたします。
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by nobuyori_1 | 2018-05-19 14:38 | 週報のコラム | Comments(0)