人間存在の肯定
2018年 06月 09日
人がもっとも安心するのは、「あなたがそこにいるだけでよい」という言葉を聞く時であると言われます。
しかし、現代の社会生活は「そこにいるだけでよい」とは言ってくれません。
「そこにいるだけ」は社会の評価基準からすれば怠け者、無力なる者、人生の敗残者でしかないからです。・・
「そこにいるだけでよい」という言葉を怠け者へのレッテルとしてではなく、安心感を得るための最も重要な言葉として用いようとするなら、聖書の創造論に触れる必要があります。
創世記によれば「神が造ったすべてのものを見られたところ、それは、はなはだ良かった。」と言われたとあります。
英語ではIt was verygood.と表現されます。
goodとは美しいという意味もあり、ここで意味されていることは、存在するものはすべて美しいということです。
存在そのものが肯定されているのです。
マタイ福音書6章26節には「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず倉に取り入れることもしない。
それだのに、あなたがたの父は養っていて下さる」とあります。また野の花は「働きもせず、紡ぎもしない」とあります。
「蒔かず、刈らず、倉に納めず、働かず、紡がず」とは、いわばなんにもしないということです。
にもかかわらず神はその存在そのものを受け入れておいでになるのです。
何事かをして役立つことで評価を得る生活とはまったく異なる評価基準がここにあります。
加来周一著「実用聖書名言録」
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得てして自分という人間存在を否定しがちな世にあって、人間存在を肯定していてくれる神様の存在、それを伝える聖書の存在の意義はとてつもなく大きな役割を果たしてきたと感じます。
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