神のかたちとは
2018年 06月 16日
「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記1章27節)。
明らかに人はどこか自然の動植物とちがう。そのちがいはなにか。
その素朴な疑問が、人は神のかたちに似せて造られたという表現を取らせた。
神のかたちという表現についてはさまざまな解釈がある。
動物に対する人間の支配を意味する、あるいは神の主権の代理のしるしであるとも言われる。
さらに発展して、神に対する応答性だとか、なんらかの神の一部分であるとか、理性や自由意志のような高い精神性を表すなど様々に意見が分かれる。
要は、人間という存在は尊いのだということなのである。(中略)
人間の特権は、個体がかけがえのないひとつの命を生きていると自覚できることです。
だからこそ、他の自然のかけがえのない存在に責任をもつのも人間なのです。
人は神のかたちにかたどって造られたとは、自分というものの存在の意味を理解し、それに責任をもつことができるものとして造られたということにほかなりません。
人はロボットではないのです。そのままの存在をなんの自覚もなしに生きることはありません。
なぜ造られたのか、なんのために造られたのか、その意味を理解し得る存在として、この世に生きています。
しかも自分の世界だけを狭く見ているのではありません。造られたものすべてに目を凝らして、そこにある意味や価値を発見する力を与えられています。
それこそが、神のかたちにかたどって造られたものの特権です。環境保全運動が盛んなのも、かけがえのない存在の意味や価値を知るからこそでしょう。
加来周一著「実用聖書名言録」
先日、霞ヶ関の弁護士会館で憲法改正についての講演を聞きました。
現在の日本国憲法は軍隊が暴走しないための歯止めをかけた世界でも極めて優秀なものです。
国際問題に決して武力を用いず、対話と交渉で解決するといった理想的な憲法です。
そのため日本は戦後70年間平和に過ごすことがきました。憲法改正で実質上歯止めが外されれば、再び軍国主義に向かう道を開いてしまいます。
恒久平和主義と立憲主義を保ちつつ、自衛をするための道を、慎重に議論し模索すべきです、というような内容でした。
平和が守られるため祈り、議論を重ね、共に考えていきましょう。