天動説と地動説 なぜ教会は地動説を受け容れなかったか
2018年 08月 19日
「科学者はなぜ神を信じるのか」という書物を通して、教えられたことの一つ.
信仰と科学は対立するかのような誤解を世に与えた「ガリレオ裁判」について、なぜ当時の教会が地動説を受け容れなかったか、その理解が与えられたことです。
実は、「地動説」という考え方は、紀元前5世紀、ピタゴラスの定理(3平方の定理)で有名なピタゴラスが最初に唱えたものでした。
ピタゴラスは、すでに当時、地球は自転し、公転していることまで発見していました。
この時代に、そこまで発見されていたとは驚きです。
ところが、後に現れた西洋最大の哲学者ともいわれるアリストテレスによって、地動説は否定されてしまいます。
アリストテレスは、宇宙の中心は「土」つまり下方にあるという考えがあったので、宇宙の中心が上にあるという地動説を受け容れることができませんでした。
4世紀。ローマの国教となったキリスト教は、ギリシャ文化を軽んじるようになりました。
14世紀。カトリック教会は自分たちの権力を擁護するため、教会の公認した考えのみを「正統」とし、それに反する考えを「異端」としました。
そして神学者トマス=アクイナスの大著「神学大全」を教会公認のテキストとしました。
彼がアリストテレスの天動説を取り入れていたため(神の存在証明のために天動説を用いていた)、天動説が公認の宇宙観となりました。それは同時に、地動説は異端とされることを意味していました。
16世紀。大航海時代がやってきて、火星の明るさが季節によって変わったり、蛇行運動していることが明らかになり、その謎を解くために、信仰者だったコペルニクスが「地動説」を唱えました。
コペルニクスは穏やかに唱えたため裁判を免れましたが、同じく地動説を唱えたガリレオは真っ向からアリストテレスの天動説を否定したため宗教裁判にかけられ、軟禁の処罰を受けました。ガリレオも神を信じる信仰者でした。
また、宗教改革をしたマルチン・ルターはヨシュアの「日よとどまれ」(ヨシュア10:12~13)という言葉を根拠に、聖書には太陽が動いていると書かれているとコペルニクスを非難しました。
ルターは教会の権威化と堕落を批判して、神の言葉である聖書の文言のみに従おうとする聖書絶対主義を掲げたあまり、文字の一言一句を文字通りに取らなければいけないと考えていたのです。
1973年、教皇ヨハネ・パウロ2世は聖書の文字通りの意味にあまりに固執したことと、ガリレオ裁判が過ちだったことを認め、亡きガリレオに謝罪し、その名誉を回復しました。
350年後のことです。