大塚信頼のブログ


by nobuyori_1
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キリスト教会と同性愛

近年、キリスト教界の中に、同性愛は罪であると考える人と、同性愛が罪ではないと考える人が存在しています。
現に私の身近に農村伝道神学校がありますが、同性愛を罪ではないと教える牧師や神学校の授業まであります。
これからの時代、同性愛についてどのように考えるのがよいのでしょうか。

私が学んだことを少しずつ分かち合っていきたいと思います。
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まず、どうして同じ聖書を用いていながら、同性愛を罪とする立場と罪としない立場が存在するのでしょうか。

聖書は旧約・新約一貫して明らかに同性愛を罪として扱っています。
 
 創世記19:4~5
 レビ記18:22
 レビ記20:13
 ローマ1:26~27
 Ⅰコリント6:10
 Ⅰテモテ1:9~10

 (聖書の結婚観・性の基準は、創世記2:24にあります。)
 
結論から言えば、それは聖書観の違いに由来します。

 同性愛を罪とするのは、主に福音主義のグループの人です。
 聖書はすべて誤りない神の言葉であるという十全霊感説に立つので、結果として同性愛は罪ということになります。

 それに対し、同性愛を罪でないとする人は、主に自由主義のグループの人です。
 聖書は誤りのある人のことばであるとする部分霊感説に立つので、結果として同性愛を罪とする人と、罪としない人に別れます。

さらに、その聖書観の違いの根底には、神の啓示を優先するか、人間の理性を優先するか、どちらに基準を置くのかという問題が横たわっています。

 福音主義の人は、聖書は誤りのない神の啓示と理解するので、同性愛は罪であると理解することになります。
 自由主義の人は、人間の理性や合理性、その時代のイデオロギーなどによって聖書を自由に解釈していくので、同性愛を罪とするかしないかは各個人ごと(教職者ごと)に分かれていきます。
 (同性愛を罪としないため、聖書の解釈や聖書の権威を相対化します。)

 もちろん例外はあると思いますが、基本的にこのように分類できるでしょう。

 自由主義神学というのは、プロテスタントだけでなく、カトリックにも、聖公会にも入っているので、それぞれのグループの中で同性愛の否定派と肯定派が存在すると考えられます。

 もし、この記事を読んで下さっている方がクリスチャンであるなら、ご自分がどの流れの中にいるのか、信仰の立ち位置を確認することをお勧めします。
自分と意見を異にする方がいるなら、その方がどの神学の流れのお方なのか、その神学的背景を確認すると見えてくるものがあります。
違いを理解し、それぞれの長所を認め合い、キリストにあって一つとなることが重要です。


※ このシリーズは決して同性愛者を非難するためのものではなく、むしろ同性愛者の方に真の希望と神様の愛をお伝えすることを目的とし書いています。
※ 私も研究中です。内容を訂正したりすることがあると思いますが、ご了承ください。



 






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Commented at 2018-11-05 23:48 x
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Commented at 2018-11-06 07:21 x
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Commented at 2018-11-07 07:49
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Commented at 2018-11-07 07:51
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by nobuyori_1 | 2018-11-04 23:29 | 最近教えられたこと | Comments(4)