祈りの姿勢
2019年 02月 16日
「サタンは、信仰が最も弱々しい信徒がひざまずく 時、震えあがる(Satantrembles when he sees the weakest saint upon their knees.)。」(ウイリアム・クーパー)という有名な言葉があります。
皆様は、祈る時どのような姿勢で祈るでしょうか。形は関係ない、中身が重要だと言われるかもしれません。確かに祈りは心ですから中身が重要です。しかし、形は心とつながり、形は心の表現となると同様に、形が心を規定する側面もあることを覚えましょう。
私たちは16世紀の宗教改革直前に開発された長椅子によって、椅子に座り礼拝し、座ったまま祈るようになりました。しかし、それまでは礼拝堂に椅子はなかったのです。椅子に座って祈るようになったのは近代になってからです。
旧約・新約聖書を見ると、「立つ」「ひざまずく」「ひれ伏す」というのが祈りの姿勢でした。イエス様でさえそうでした。
ユダヤ教も東方教会も、現在でも祈りは立ってなされます。手のひらを上に向け、手を上にさしのべて祈ったり、胸の前に広げて祈ります。それは父なる神の前に出ていることを表す姿勢なのです。
西方教会では、ひざまずいて祈ることを大切にします。ひざまずく姿勢は懺悔の時だけでなく、謙遜、服従を表す姿勢なのです。
イスラム教では、現在も祈りの動作の中に地に頭をつけひれ伏して祈る動作が入れています。私は神のしもべですと、畏敬と降伏を表す姿勢なのです。
椅子に座って礼拝を持ち、祈ることは、長時間教育的説教がなされるプロテスタント教会には都合の良いものでした。足の悪い方、高齢者に対する配慮にもなりました。悪いわけではありませんが、本来の祈りの姿勢を回復しましょう。
様々な祈りの姿勢を時に応じて用いることで、祈りは豊かにされ、霊性が深められます。
早天では様々な姿勢でお祈りなさるよう、お勧めいたします。
論より証拠です。実践からその意味を感じとってください。