いじめ、虐待、自殺の原因とその背景~攻撃的な社会
2019年 09月 14日
その背景にある原因の一つは、いまの私たちの社会の攻撃性だと思います。
本来、私たちの社会は、人と人が認め合う社会でなくてはなりません。
それなのに現在の日本は、人が人とが責め合う社会、とても攻撃的な社会になってしまいました。
とくに、1991年にバブル経済がはじけて、日本経済が究極の不況に陥ってから、閉塞した厳しい時代になってしまいました。
会社や仕事先で、「何をのろのろやっているんだ、君なんかいつでもくびにできるんだぞ」といわれた父親は、家に帰って「なんだ、飯もつくってないのか、風呂も沸いてないのか。おまえは何をのろのろやっているんだ」と妻にあたる。
夫にあたられてイライラした妻は、自分の子どもたちにうっぷんをぶつけていきます。
これは近年親による虐待が増加している一因であります。
かけがえのない自分の子どもに「テストでこんな点数しかとれないなんて、情けない。なにをやってるの」としかることで、あたるのです。
会社では、上司が部下に、家庭では部下である夫がその妻に、そして、その妻がその子どもにと、攻撃が下へ下へと力の弱い方へ続いています。
このように攻められ攻撃されても、私たち大人は、家庭であるいは夜の街で、仲間との一杯のお酒で気をまぎらわせることができます。
そして、また次の日をなんとか過ごしています。
しかし、大人のようにお金やお酒の力を借りることができない子どもたちは、いったいどうしているのでしょうか。どうやって息抜きをしているのでしょうか。
だれを攻撃してうっぷんを晴らせばいいのでしょうか。
同級生や年下の子どもをいじめることで、動物や生き物を殺すことでうっぷんを晴らせばいいのでしょうか。
悲しいことに、すでにそうしている子どもたちもたくさんいます。
水谷修著「あした、笑顔になあれ」より引用
現代の大きな問題となっている、虐待、いじめ、心の病、自殺の問題等が、この文章に触れて大きな一つの流れの中で把握することができました。
この8月で長年続けてきたブログとHPを閉鎖した夜回り先生こと「水谷修」氏。
その最後の言葉は、
「私に相談している人の何人が私の本を読んでくれているのか。
誰かから聞いて私に相談。でも、それは哀しい。
ただひたすら続く何百本の日々の相談。
私の本を読んでくれればそこに答えが。
疲れました」
というものでした。
それが最後の言葉であり、水谷先生が実存をかけて訴えたかった内容だと受け取らせていただきました。
水谷先生は、そのような思いで書物を書かれてこられたのですね。
それが最後の言葉であり、水谷先生が実存をかけて訴えたかった内容だと受け取らせていただきました。
水谷先生は、そのような思いで書物を書かれてこられたのですね。
私もその貴重な書物を取り寄せ、読ませていただいています。
水谷先生、ご自愛ください。
今まで、本当にありがとうございました。
※水谷先生はカトリックのクリスチャン。キリストの愛の実践者。
上智大学で神父に出会い、教師になるか神父になるか悩んだ時もあったそうです。
後に仏教系とのつながりも強くされたようですが、夜回りの働きはまさにキリストのお姿です。
人にではなく、神に依存(信頼)して生きる姿に私も習いたいし、頼るべきお方として神を指し示す存在になりたいと思わされました。
by nobuyori_1
| 2019-09-14 11:14
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