普通の子にも問題がある
2019年 09月 14日
私は教え子だった一人の女子生徒から一通の手紙をもらいました。
「先生はいつも、暴力的で授業の邪魔をする生徒たちのほうばかり見ていたね。
私は成績もよかったし目立たなかったから、先生にぜんぜん振り向いてもらえなかった。
でも、私だって悩んでいたよ。
お父さんは覚せい剤で逮捕されるし、お母さんは男の人と家を出てしまいほとんど帰ってこないから、
妹や弟の面倒を見ながらくるしんでいたんだ。
私、リストカットをした。夜の街で優しい男の人に身を任せた。
哀しいときときやつらいとき、いつも先生のほうを見て、救いを求めていたのに・・・。
でも、先生はぜんぜん気づいてくれなかった。
私、いい子なんかじゃなければよかったのに。
先生を恨みます」
この手紙を読んで、私は茫然自失となりました。
私の周りで何の問題もなさそうに日々生きている子どもたちの中に、私の存在は必要ないと勝手に解釈して、ただ笑顔で見守っていた子どもたちのなかに、
実は、この問題を抱えている多くの子どもたちがいることに気づいたのです。
私は大切な子どもたちを失っていました。
水谷修著「あした、笑顔になあれ」より引用
生の子どもの声を聴く機会は、そんなにあるものではない。
この文書を通して、私もいじめて苦しんで先生に助けて欲しかったのに気づいてもらえなかったことがあったことを、思い出しました。
笑顔で問題なさそうに見える子どもの中にも問題を抱えて苦しんでいる子どもたちがいる。
SOSのサインを出せる人と出せない人たちがいる。
問題があるように見える人にも見えない人にも同じように関心を寄せて声をかけなければいけない。
そのことを教えられました。
水谷先生がご自身の辛い体験を分かち合い、共有してくださったことに感謝します。
私も同じような過ちを犯してきたのではないかと、探られました。
by nobuyori_1
| 2019-09-14 11:39
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