大塚信頼のブログ


by nobuyori_1

2011年 09月 30日 ( 2 )

罪人扱い

「キリスト教は,人を罪人扱いにするから、きらいだ」
という言葉を聞く。
しかし、罪ある人間を罪あるということは、何と親切なことではないか。
病気の人を病気だといわずにほおって置いたら、どうなるか
やはり、病気の時は病気だといってもらったほうが、わたしはありがたい

「義人はいない。ひとりもいない」

       三浦 綾子


聖書のありがたさは、罪があること、罪のさばきは地獄であることをはっきりと教えてくれることだ
だからこそ、罪を犯したことを自覚した時、人は地獄に行くことを恐れ、救いを求める

キリストを救い主として受け入れた後でも、
日々罪を悔改め、軌道修正されて正しい道を生きることができる
謙遜にさせられ、キリストの十字架の御業に心から感謝することができる

「罪を罪と感じないことが罪だ」
「鈍感は罪だ」


キリストを受け入れていながら、罪に鈍感になっている自分に気づき、今日悔改めた
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by nobuyori_1 | 2011-09-30 18:00 | 三浦綾子語録 | Comments(0)
「泥棒と悪口を言うのと、どちらが罪深いか」
という問題がある
私の教会の牧師は、ある日、説教の中で
「悪口の方が罪深い」
とおっしゃった

泥棒に入られたために自殺した話は、あまり、私は聞いてはいない
だが、人に悪口を言われて死んだ老人の話や、少年少女の話は時折聞く

わたしたちのないげなく言う悪口は、人をしに追いやる力があるのだ
悪の力だ
泥棒などのような単純な罪とは違う
もっとどろどろとした黒い罪だ

  三浦 綾子


人の悪口をいったことのないものはいないにちがいない
それほど、わたしたちは一人残らず罪深いものなのだ
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by nobuyori_1 | 2011-09-30 18:00 | 三浦綾子語録 | Comments(0)