大塚信頼のブログ


by nobuyori_1
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カテゴリ:最近教えられたこと( 161 )

「あなたの神、主は、あなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに向かって、あなたに与えると誓われた地に、あなたを入らせられる時、

あなたが建てたのではない大きな美しい町々を得させ、・・

あなたが植えたものではないぶどう畑とオリブの畑とを得させられるであろう」(申命記6章10~11節)。

聖書の世界は、そこに隠されたもうひとつのちがった世界があることを教えています。

イスラエルの民が約束の地に入り、土地を獲得する戦いは原理において競争と同じです。

勝って相手を倒さねば、土地という結果を手にすることはでないのです。

その戦いの勝敗を決するのは自己の努力や才覚といって差し支えないでしょう。

だから土地を得た後は、勝ちを得た自分に拍手喝采を送るのを当然と考えます。

にもかかわらず、申命記はそれを良しとしないのです。勝利して得た土地は、負けた相手がすでに豊かに準備しておいてくれた土地だというのです。


もしこれを今日の社会の競争の世界に当てはめれば、こういうふうにいえるのではないでしょうか。

受験戦争に勝ち、希望の大学に合格したものは、不合格の者がいるおかげで合格したのであり、めでたく部長、課長に昇進した者は、部長、課長にならなかった者がいるので昇進したということになります。

人生に勝利した者は、このやさしさをもつべきでしょう。

今日の社会に欠けているのは、このやさしさです。

人はこの社会で生きる時、本当はこのやさしさを心の底で求めているのではありませんか。

ただ競争に勝ったものだけが讃えられる社会であってはならないと願っていないでしょうか。



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競争に勝つとは、負ける者の存在があって始めて成り立つ原理です。

勝利を得たものが謙遜に勝利を受け止める配慮があれば、この世はもっと住みよくなるにちがいありません。

このやさしさを持つ者こそ、真の勝利者といえるでしょう。


加来周一著「実用聖書名言録」


勝った時は素直に喜んでよいと思います。みな平等なのですから。

でも勝った時にも、その裏で負けて寂しい思いをしている人のことを思いやり、感謝する心、

また、負けた時にも、勝った人を祝福できる人になりたいです。

何が自分にとって最善かは神様にしかわからないことですし、主権は神様にあるのですから。









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by nobuyori_1 | 2018-06-30 12:06 | 最近教えられたこと | Comments(0)
「魂の最も奥底はのんびりすることを好んでいる。
というのは、魂が求めているのは、何かを達成することではなく、
むしろ、味わうことだからだ。
魂は慌てて次の場所に移動することよりも、
そこでくつろぎ素晴らしいことを思いめぐらしていたいのである。」
          
 ロバート・バロン(米国・カトリック聖職者・神学者)

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忙しく、仕事に追われ、追いかける日々。
早さばかりを求めるのではなく、むしろ生活のペースを落として、
周りの景色や自然を楽しむ、家族と時間を過ごす、人への感謝、聖書のみことばを味わう、神様との親しい交わり、読書を楽しむ
そんな時間の使い方こそが魂に必要なことであり、人生で最も大切なことなのです。
人生には、時間をかけなければできないことがあるのです。




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by nobuyori_1 | 2018-05-12 18:42 | 最近教えられたこと | Comments(0)

 キリスト教は哲学や倫理規範、あるいは行為の基準と言ったものではなく、主イエス・キリストを通して人間に御自身を啓示された神との、個人的な関係であるということを人々は知らなくてはなりません。

このことのゆえに、主イエスの誕生、生涯、死、復活、再臨に関する歴史上の事実がきわめて重要になるのです。

仏教から仏陀を、イスラム教からマホメットを、同様に他の宗教からその創始者をとりのぞいても、あまり変化はありません。

しかし、キリスト教からキリストをとりのぞけば、何も残りません。

なぜなら、キリスト教は生きておられるキリストとの個人的な関係だからです。

(キャンパスクルセード・フォークライスト創設者 ビル・ブライト)


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「キリスト教は一つの宗教ではない。神との関係である(Christianity is not a religion, but a relationship with God)」とよく言われますが、

このビル・ブライトの言葉はさらに現在も生きているキリストとの個人的な関係に焦点を絞っているという点で貴重な文章だと感じました。









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by nobuyori_1 | 2018-02-16 06:32 | 最近教えられたこと | Comments(0)

 私は長年の間、世界の多くの国々で、何千という人々―回教徒・ヒンズー教徒・そして無神論者や共産主義者に次のような質問をしてきました。

「かつて生存した人物の中で、もっとも偉大な人物は誰だと思いますか。人類に最も貢献しているのは誰だと思いますか」。

知識があり、証拠を調べたことのある人で、「ナザレのイエスです。」と答えない人には出会ったことがありません。

(キャンパス・クルセード・フォークライスト創設者 ビル・ブライト 


 「イエス・キリストが現に働いておられるという証拠は、昔に劣らず、今日も確かなものである。

世界史の他の偉大な人物の場合は、どの人を取ってみても、最初は力を持っていても、だんだん名前だけで力を失ってゆき、やがて記憶だけになるというのが避けがたい通例である。

しかし、イエスの場合は、まさにその正反対である。

彼は辱めを受け、十字架で死んだが、その名声はしだいに高まり、今日では、キリストは世界最大の影響力を持っている。」

(イギリスの学者 WH・グリフィス・トーマス)


 「人類史上に結んだ実から判断すると、あの短い生涯(イエスキリストの生涯のこと)は、この惑星上にかつてない大きな影響力を与えた。

これまでにも、つとめて指摘してきたことだが、あの方の生涯が与えた影響は、時代が経過するにつれて、弱まるどころか、更に大きくなってきている。

キリストを通して何百万もの人が個人的に変えられ、あの生涯を模範とした生涯を歩み始めた。あとに及ぼした結果から見ると、イエスの誕生、生涯、死、復活は、人類史上の最も大切な出来事だったと言わざるを得ない。

その影響力から判断すると、イエスは人類の物語の中心人物である。」

(エール大学大学院の宗教学部長・歴史家・著作家 ケネス・スコット・ラトーレット)


(TCシリーズ1 キャンパス・クルセード・フォークライスト発行 より引用)


 

世界で最も偉大な人物・世界に最大の影響力を与えた人物とは誰だろう?

キリスト教の影響力とは?イエス・キリストの影響力とは?

そんな疑問を持って調べていると、上記の言葉に出会いました。

貴重な言葉だと思われたので、ブログに載せました。


今でも、世界で一番い宗教人口は、キリスト教で世界人口の約30%。

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生物学的成長によるイスラムの成長率の向上、キリスト教の成長率の減少はあるものの、キリスト教を見ると、ヨーロッパで衰える一方、現在、今まで非キリスト教圏であったアジアやアフリカで急速に増え続けている。

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中国もこのままでいくと世界一のキリスト教人口を保有する国となると言われている(現在1億人のクリスチャンがいると推定される)。

イエス・キリストという一人物の影響は、2000年経った今も衰えることを知らない。

多くの人に希望を与え、ひとりびとりのの人生を変え、今も世界を変革し続けている。




イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」

(ヨハネ14:6)


「この方(イエス・キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。

世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」

(使徒4:12)

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by nobuyori_1 | 2018-02-16 05:58 | 最近教えられたこと | Comments(0)

先日、教会にいると、自転車で来た女性にパンフレットや、聖書の勉強会の誘いのチラシをもらいました。

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神奈川県大和市の小田急線沿線沿い(大和市上草柳4丁目134)に、外国系の小さな教会がありますが、そこから自転車で来たらしいのです。

キリストの教会とは書いてあるものの、十字架はありません。外国系です。

日頃、どんな教会なのかと不思議に感じていました。

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 イグレシア・ニ・クリスト(IGRESIA NICRISTO・キリストの教会)ってどんな教会?

 普通のキリスト教と何が違うのだろう?


パンフレットの内容を見ると、この教会がすぐに「キリスト教の異端」(聖書を用いながら、聖書の本質から脱線した教えを説くグループのこと)に分類される類のものだと明確にわかりました。


知らずにいる方がいると思いましたので載せることにしました。


パンフレットから、書かれている言葉を一部引用してみます。

・「神は三位一体ではない」

・「キリストが神なる人だとは信じていない。」

・「聖霊は神ではなく、神によって遣わされる霊の一つだからだ。」

・「聖書の御言葉を理解し、何かを付け加えたり減らしたりせず、誤りなく教える務めが与えられているのは、神のみ使いだけだと信じている。」

・「教会管理が下した決定に従うとは、キリストの言葉に従うこと。」


モルモン教、エホバの証人(もろみの塔)、統一教会等(キリスト教の異端グループ)と共通して、

パンフレットを見る限り、その教義の特徴として、

・三位一体の否定 (父なる神=神、キリスト神、聖霊神)

・キリストに対する信仰のみによる救い を否定

そして、

・自分の組織でなければ救われないという排他主義と独善性(一般のキリスト教会すべてを否定)

・組織と組織の教えに対する従順による救い(キリストに対する信仰による救いではなく、信仰+α)

・創設者への絶対的信頼・又は神格化。(ちなみに、この団体の創設者は最後のみ使いだそうです。)

というものが見うけられます。


「コトバンク」の情報によりますと、

1914727日にフィリピンでフィリピン人マナロFelix Manaloにより創立されたキリスト教会。英語の正式名称はChurch of Christ。創立者マナロを〈神の最後の使い〉と規定する独自の教義をもち,この教会の信徒となる以外に救いはあり得ないとする立場を堅持している。第2次世界大戦以前にはルソン島を中心とする小集団にすぎなかったが,戦後急激な教勢の拡大を達成し,50年末にはほぼフィリピン全土に進出した。

 

 一般のキリスト教会に来て、伝道しようとしているようです。


今まで、あまり知られていなかった、フィリピン系の異端です。

プロテスタント教派のディサイプル系の「キリストの教会(Church of Christ)」と同じ名前なので、紛らわしいですね。

ちなみに、Iglesia Ni Cristoとはタガログ語だそうです。














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by nobuyori_1 | 2017-12-26 09:20 | 最近教えられたこと | Comments(0)

律法主義と恵み

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信仰には、律法主義的クリスチャン生活と恵みによるクリスチャン生活があります。
律法主義的弟子訓練と恵みによる弟子訓練があり、
律法主義的伝道と恵みによる伝道があります。


前者は「~しなければいけない」という恐れによる宗教、異端の世界であり、
後者は「~しないではいられない」という愛による神とのいのちの関係からあふれ出る、キリストによってもたらされた福音の世界です。

後者の歩みこそ、真のキリスト教信仰であり、この教会の立つ健全性です。

(律法は必要ですが律法主義とは異なります)




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by nobuyori_1 | 2017-05-13 13:31 | 最近教えられたこと | Comments(0)

排他主義なキリスト教

先日、電気屋で出会ったあるご婦人がこう言われた。
「一神教は排他的で戦争ばかりしているから、私は多神教の方が寛容で優れていると思っている」
近年、よく耳にするこの論。果たして正しいのだろうか?
ある著名な仏教徒の一方的な一神教批判の受け売りにも聞こえなくもない。

多神教同士でも争いをしてきた歴史をみれば、そんな単純なことはいえないことがわかる。

同じ宗教の中でも宗派間の争いがあるのはなぜだろう。

問題は、「一神教だから」、ということではなく「排他主義」にあるのではないだろうか。
同じ宗教(宗派)を信じる者だけを肯定して、他宗教(多宗派)の人を否定すれば、一神教であれ多神教であれ、問題を起こすだろう。


私個人は、日本においてキリスト教のプロテスタントの教会で信仰を持ったが、改めて考えてみると、戦後欧米から日本に持ち込まれたプロテスタントのキリスト教は、排他主義的な色が強いと感じている。
日本において、他宗教に対して否定から入る体質、アプローチ法が本当によくないと感じている。
そのような性格が、真理よりも和を尊ぶ日本人にとって、キリスト教が門前払いされることの原因となっているのだろう。
真理には排他性が伴う。
しかし、神はすべての人を愛しておられるのであり、人を信仰心によって分け隔てするように教えてはいない。
他宗教や宗教心や宗教を求めてやまない人間の心の起源や存在については、聖書を知る者こそ、深く理解できるはずである。
そのような立場に立つなら、もっと余裕をもって他宗教や他宗教の方と接することができるようになるだろう。
偶像礼拝をしてはならないと自衛的になるのではなく、自らの信仰の確信に立っているならもっとおおらかかに、愛をもって他者の立場に立ち、キリスト者の自由をもって振る舞うことができるだろう。
それでこそ、キリスト教は日本において良い評判を受けるようになるだろう。
その辺りを革命したい。

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聖書を正しく読めば、聖書は排他主義ではなく、「普遍主義」である。
「普遍主義」とは、神はすべての人を造られ、愛し、生かしておられるということである。神は万人の救いを願い、救いの業をなされたということである。私たちに分け隔てなく愛するように呼び掛けておられるということである。つまり、聖書の神は一部の人だけでなく、すべての人とつながっている神であるということである。

世界を創造された神こそ普遍主義であり、イエスキリストこそ普遍主義を説かれ、生きた方である。

導入で引用した言葉は、排他主義に対する批判であると受け止める。
それに対して、私はキリスト教の中にも存在する排他主義について反省をしながら、普遍主義のキリスト教を聖書の教えとして説きたいと思う。


一神教は排他的だと悪口を言われるようではなく、一神教こそ理解あるすばらしい人だと言われるようでありたいと思う。


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by nobuyori_1 | 2016-08-20 08:04 | 最近教えられたこと | Comments(0)
列王記を読むとき、これがあると便利ですよね。

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by nobuyori_1 | 2016-04-21 09:56 | 最近教えられたこと | Comments(0)
エゼキエル書42章の神殿の図です。

絵を見ながら聖書を読むとわかりやすいですよね。

動画はこちら

1キュビトは約50cmです。

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出典元はこちらです。
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by nobuyori_1 | 2016-04-21 09:12 | 最近教えられたこと | Comments(0)
エゼキエル書41章

絵で見ると聖書がわかりやすいですよね。
聖書を読むときの参考になさってください。

動画はこちら
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出典元はこちら 
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by nobuyori_1 | 2016-04-21 08:54 | 最近教えられたこと | Comments(0)