大塚信頼のブログ


by nobuyori_1
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カテゴリ:週報のコラム( 45 )

笑顔の力

「笑顔の力(笑顔の効果)」


科学的にも証明されていることですが、マイナス思考で常に不安や恐れを抱えていると、免疫機能が低下し病気にかかりやすくなります。

科学者によれば、人間の肉体の中では絶えずがん細胞が育っているそうです。

しかし、私たちには、生まれつき「ナチュラルキラー細胞」という奇跡のような免疫機能を持つ細胞が備わっています。

これは、異常な細胞を攻撃し、破壊する細胞です。研究によれば、恐怖心や不安やストレスといったマイナス感情は、この細胞の働きを弱めるそうです。


一方、プラス思考でいつも機嫌が良く、よく笑う人の体内では、平均を上回る数の「ナチュラルキラー細胞」が生み出されるそうです。

つまり、喜びに満ちた人生を送っていれば、免疫機能は最大限の力を発揮するのです。


笑顔をつくることは癒し行為の一つです。

研究によれば、笑顔をつくるとある種の物質が体内の組織に運ばれ、体をリラックスさせて健康でいられるそうです。

特に笑う理由がなくても、笑顔を絶やさないよう心がけましょう。


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ある日私が教会のロビーにいると、一人の少年が深刻な顔で近づいてきました。

彼は私をじろじろと眺めると言いました。

「ちょっと聞きたいことがあるんですけど」

「いいよ、何が知りたいんだい」

「どうして牧師さんはいつもニコニコしてるんですか?」

ほとんどけんか腰といってもいいその口調に私は一瞬、ニコニコしていてはいけないのかと思ってしまったほどでした。

「そうだね、それは私がいつも幸せだからだよ。君は笑わないのかい?

少年は少し考えてから、こう言いました。

「アイスクリームを食べている時はニコニコするよ」。


おとなたちの大半がこの少年と一緒です。

彼らは人生そのものがアイスクリームのように甘くておいしいものになった時にだけニコニコしているのです。

しかし、そうでない時も朗らかにふるまえば、あなたの人生には奇跡が起こるでしょう。

始終苛立つのをやめて、笑ってください。肩の力を抜いて生きれば、長生きできる上に、生きることが楽しくなります。

                            

 ジョエル・オースティン著 「あなたにはできる」


そう、確かにジョエル・オースティン先生はいつもニコニコしていらっしゃる。
「笑顔の力」を知っている方なのでしょう。

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「いつも喜んでいなさい。」
 
聖書の言葉は健康にもつながっているのでしょう。
(Ⅰテサロニケ5:16)





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by nobuyori_1 | 2018-11-19 08:45 | 週報のコラム | Comments(0)

恐れを克服する

恐れをどのように克服していらっしゃいますか。


先週、頬にできた腫瘍(しゅよう)(うみ)がたまり大きくなって痛み出しまし(うみの苦しみ)

何のために腫瘍ができてしまったの・・

腫瘍だから、「主よ(腫瘍)~」ともっと祈れということなのだろうと私的霊的解釈したり、腫瘍を感謝したか?と主に問われた気がして、腫瘍ができたことを感謝しますと感謝し始めました。


そんな証しを火曜日、大和の早天祈祷会でさせていただくと、ネットを通して早天祈祷会を守っていた一人の姉妹から、

内臓の腫瘍が発見されて不安の中にいましたが、主は祈りに導いておられると感謝し、平安を頂いて病院へ行くと、内視鏡検査をしても腫瘍や腹水が見当たりませんでした。

診察室を出てから涙がこぼれそうでした、との感謝の証が届きました。

主はいやし主です。主に栄光をお返しします!



息子が風邪をひき、病院で白い粉薬を処方されました。

家で飲ませようとすると、飲めないとぐずりました。

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(こんな感じです)

「水を入れて」というのでコップに水を入れてあげると「もっと入れてよ~」と泣くのでもっと水を入れると、今度は「粉が下にたまってるんだよ~」。

スプーンでもう一度かきまぜて出すと、「ぼく、薬飲むと泣いちゃうんだよ~」と言います。

「泣いてもいいから治るために飲むんだよ」というと、しばらくして泣きつつも全部飲んでいました。

恐れを克服して飲んだのです。


そんな息子も、読売ランドで娘がお化け屋敷に入った時は直前で辞退しました。

私は付き添いで入りましたが全く怖くなく拍子抜けしました。

お化けは実在しないことを知ってるからでしょう。

息子曰く「ぼく、5歳の時より怖くなっちゃった」


心理学者によると、私たちが抱く恐れの大半は後天的なものだそうです。

生まれた時点で私たちが恐れを感じるものは二つだけ。

「大きな音」と「落ちること」です。

それ以外の恐れは、私たちが成長しながら認識するものです。

その過程で、本来は恐れる必要のないものまで対象にしてしまうことがあるのです。


健全な恐れと実体のないものへの恐れがあります。

区別する知恵を主にいただいて、「恐れには実体がない」と」宣言し、恐れを克服させていただきましょう。 




町田カルバリー 家の教会の週報より



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by nobuyori_1 | 2018-11-17 05:25 | 週報のコラム | Comments(0)

「いつまで続くかわからないけど、明日から早天祈祷会をさせてください」。


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義信兄に許可を頂き、18日(月)から密かに初めた早天祈祷会でしたが、始めて見るとなんとしっくりくるものでしょう。

わずか45分間ですが本当に恵まれました。賛美はできるし、宿題の聖書個所は読めるし、「365日のマナ」(チョー・ヨンギ著)のその日のショートメッセージは毎回新鮮で養われ、祈りに導かれます。

さすが早天祈祷会の盛んな国、韓国で書かれたものです。生きた信仰が語られ、日増しに早天祈祷会が強められてきます。


そして主の前にひざまずいた時、次から次へと自分の脳裏に、自分が抱えていた不安、心配ごとが次から次へと思い出されていきました。

私はこんなにも心配事を抱えながら、我慢して生きていたのだと気づかされました。

主の御前に涙ぐみ、正直に心を注いで祈れました。

教会には特別な主のご臨在があります。


一日のことを祈って始めると、一日が違いました。

色んな事が起きても主にゆだねてあるので、あまり動揺することなく、主が善きにしてくださるという信仰が心を強く守ってくれるのです。

聖霊様に強められているので、一日過ごすのが楽でした。祈って過ごすとこんなにも「楽」に過ごせるものかと、改めて実感しました。

それから、早天祈祷会が楽しみになりました。水曜も、木曜も・・やめられないとまらないかっぱえびせん♪です。

自分に最も必要なものと出会えたのです。

家から離れることで、日常性から離れ、気が散ることなく集中できます。


祈ると御業が進みます。

週に一度の祈り会では、週に一度の奇跡を体験するだけでしたが、日ごとに祈れば、日ごとに御業が前進していくのです。

25名を目標としていたキャンプ申込者もいつの間に53名与えられました。

「父の日・バーベQ」の日は、曇りのち雨の天気予報だったのに、バーベQに合わせて晴れました。

昨日は早天に6名の方が集められました。

「こんなに近くで早天が始まったなら出ないわけにはいかない」と。


今、教会の歴史的転換点を迎えています。


                     町田カルバリー 家の教会の週報コラムより


もちろん、早天祈祷会の祝福を知らなかったわけではありません。

しかし、町田カルバリーでは物理的・精神的・さまざまな事情によりできずに来てしまいました。

今、時が来て、状況が整い、始めることができました。

”時”ってあるものですね。

いつまで続くかわかりませんが、導かれるまま進ませていただきたいと思います。







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by nobuyori_1 | 2018-07-01 06:21 | 週報のコラム | Comments(0)

神のかたちとは

「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記1章27節)。

明らかに人はどこか自然の動植物とちがう。そのちがいはなにか。

その素朴な疑問が、人は神のかたちに似せて造られたという表現を取らせた。

神のかたちという表現についてはさまざまな解釈がある。

動物に対する人間の支配を意味する、あるいは神の主権の代理のしるしであるとも言われる。

さらに発展して、神に対する応答性だとか、なんらかの神の一部分であるとか、理性や自由意志のような高い精神性を表すなど様々に意見が分かれる。

要は、人間という存在は尊いのだということなのである。(中略)


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人間の特権は、個体がかけがえのないひとつの命を生きていると自覚できることです。

だからこそ、他の自然のかけがえのない存在に責任をもつのも人間なのです。

人は神のかたちにかたどって造られたとは、自分というものの存在の意味を理解し、それに責任をもつことができるものとして造られたということにほかなりません。

人はロボットではないのです。そのままの存在をなんの自覚もなしに生きることはありません。

なぜ造られたのか、なんのために造られたのか、その意味を理解し得る存在として、この世に生きています。

しかも自分の世界だけを狭く見ているのではありません。造られたものすべてに目を凝らして、そこにある意味や価値を発見する力を与えられています。

それこそが、神のかたちにかたどって造られたものの特権です。環境保全運動が盛んなのも、かけがえのない存在の意味や価値を知るからこそでしょう。


加来周一著「実用聖書名言録」


先日、霞ヶ関の弁護士会館で憲法改正についての講演を聞きました。

現在の日本国憲法は軍隊が暴走しないための歯止めをかけた世界でも極めて優秀なものです。

国際問題に決して武力を用いず、対話と交渉で解決するといった理想的な憲法です。

そのため日本は戦後70年間平和に過ごすことがきました。憲法改正で実質上歯止めが外されれば、再び軍国主義に向かう道を開いてしまいます。

恒久平和主義と立憲主義を保ちつつ、自衛をするための道を、慎重に議論し模索すべきです、というような内容でした。

平和が守られるため祈り、議論を重ね、共に考えていきましょう。



町田カルバリー 週報コラムより


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by nobuyori_1 | 2018-06-16 19:41 | 週報のコラム | Comments(0)

人間存在の肯定

人がもっとも安心するのは、「あなたがそこにいるだけでよい」という言葉を聞く時であると言われます。

しかし、現代の社会生活は「そこにいるだけでよい」とは言ってくれません。

「そこにいるだけ」は社会の評価基準からすれば怠け者、無力なる者、人生の敗残者でしかないからです。・・

「そこにいるだけでよい」という言葉を怠け者へのレッテルとしてではなく、安心感を得るための最も重要な言葉として用いようとするなら、聖書の創造論に触れる必要があります。

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創世記によれば「神が造ったすべてのものを見られたところ、それは、はなはだ良かった。」と言われたとあります。

英語ではIt was verygood.と表現されます。

goodとは美しいという意味もあり、ここで意味されていることは、存在するものはすべて美しいということです。

存在そのものが肯定されているのです。


マタイ福音書6章26節には「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず倉に取り入れることもしない。

それだのに、あなたがたの父は養っていて下さる」とあります。また野の花は「働きもせず、紡ぎもしない」とあります。

蒔かず、刈らず、倉に納めず、働かず、紡がず」とは、いわばなんにもしないということです。

にもかかわらず神はその存在そのものを受け入れておいでになるのです。

何事かをして役立つことで評価を得る生活とはまったく異なる評価基準がここにあります。


加来周一著「実用聖書名言録」

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得てして自分という人間存在を否定しがちな世にあって、人間存在を肯定していてくれる神様の存在、それを伝える聖書の存在の意義はとてつもなく大きな役割を果たしてきたと感じます。




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by nobuyori_1 | 2018-06-09 20:23 | 週報のコラム | Comments(0)

アメリカの心理学者、アブラハム・マズローが唱えた「マズローの欲求5段階説」は皆さん聞いたことがあると思います。
  私も大学の心理学でまず、これを教えられました(心理学専修)。

人間は「下位の欲求が充足されるとより上位の欲求を求めるようになる」というものです。

ところで、マズローは1970年に亡くなりましたが、晩年、最上位に「自己超越欲求」を追加し、修正した事を最近になって知りました

ですから、正確には「マズローの欲求6段階説」です。今日はその修正された説を紹介します。

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第一段階は、生理的欲求(食べる、寝るなど生理的欲求)。

第二段階は、安全欲求(身の安全、経済的安全)。

第三段階は社会的欲求(どこかに所属したい、家族や仲間から愛されたい)。

第四段階は承認欲求(認められたい、評価されたい)。

第五段階は自己実現欲求(自分の願いをかなえたい)。

第六段階が自己超越欲求(自分を超えた存在に仕えたい)となっています。


マズローはそのプロセスに宗教的な出会い「至高体験」というものを含めているそうです。


同じくトランス・パーソナル心理学の研究に携わったビクター・フランクルは、人間は自分を超え、献身的に他の人格に奉仕する程度に応じて自己実現が実現されるものとしています。


”自己超越という言葉で私が理解しているのは、人間存在はつねに自分自身を超えて、もはや自分自身ではない何かへ、つまり、ある事またはある者へ、人間が充たすべき意味あるいは出会うべき他の人間存在へ、差し向けられているという事態である。
そして、そのように自己自身を超越する程度に応じてのみ、人間は自分自身を実現するのである。すなわち、人間はある事柄への従事またはある他の人格への愛によってのみ自己自身を実現するのである。
言い換えれば、人間は、本来、ある事柄にまったく専心し、他の人格にまったく献身する場合にのみ全き人間なのである。

人間存在の本質は、自己実現ではなく、自己超越性にあります。
自己実現は、もしそれが目的そのものになると達成されえず、ただ自己超越の副次的結果としてのみ達成されるものなのです。”

(ビクター・フランクル)


自己実現はそれ自体を求めて得られるものではなく、自我を超え、神や他者に仕える結果として実現されるものなのです。


マズローによれば、自己超越的生き方をしている人は人口の2%ということです。


この研究結果を知って、私もいち端くれキリスト者として思わされたことは、イエス・キリストを救い主として信じ救われ、キリストを愛するようになり、その愛の応答として神と人のため献身的に仕える人は、自己実現ではなく自己超越的生き方をすることができ、結果として自己実現されるのではないかということでした。



 イエス様は「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう」(マルコ8:39)と言われました。

 「神の国と神の義を第一に求めなさい。そうすれば、それらに加えてすべては添えて与えられる」(マタイ6:33)のです。  

マズローも指摘しているそうですが、自己実現の段階にいる人も利己的な人は多く、自己実現の段階にある人が増えても問題は多く起こるだろうということ。
自己実現が人間の到達し得る、最高の生き方ではありません。
自己実現している姿が、理想的な人間的な姿でもありません。

幸せも自己実現も、神の御心に生きる時に、副産物として・副次的にに与えられるものです。
その人こそが、永遠の価値のある、最も幸せな生き方をすることができるのです。
人はみな、神と人を愛して生きるように世の初めから造られているので、本来の生き方をする時にすべてのものが与えられるのです。

この研究結果を知って、今までのマズローの欲求5段階説に対する誤解や違和感と疑問、世の中で自己実現ばかりがもてはやされている現象、人間の求めるべき生き方について、聖書と私の体験と理解において、やっと整理ができた気がしています。
マズローやV・フランクルの研究の成果に感謝いたします。
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by nobuyori_1 | 2018-05-19 14:38 | 週報のコラム | Comments(0)

母の日に想うこと

今日は「母の日」です。

素敵な母親に巡り合えた人もいれば、中には尊敬できないお母さんもいて、とんでもない、あのお母さんを思い出したくないという人もいるでしょう。

英語で「My mother is my mother」 (私のお母さんはワガママです)というのがあります。


自分がお母さんでではない人、お母さんになりたくてもなれなかった人、独身でお過ごしになった人、お子さんのおられない方々のことを含めて

私は「母の日」という表現よりも、「すべての女性を大切にする日、女性を見直す日」、ということを作ったらいいんじゃないかと思いました。          

                                 

                大川 従道

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料理のできない男性の私にとり、料理を作ってくれるというのは死活問題です。

妻や母が作ってくれる手作り料理は私にとっては最高のおもてなしです。

女性は料理を通して愛を表わしているのです。


もしお料理を作ってくれなければ、私のように料理のできない者はパンをかじるか、毎回外に行って外食するか、保存料の入ったコンビニ弁当を食べ続けなければなりません。

安全で健康面を考え、好みを考慮し、家庭にいながら食べられる出来立ての手作り料理は、男性・子どもへの最高のおもてなしであるし、そのような形で私たちは母親の愛を受けて育ってきたのです。

 

畑を始めてからの実感は、野菜を育てるのも、子どもや人を育てるのも、動物を育てるのも基本は同じだということです。

土壌が大切、日光と水が大切、芽が出た後も雑草を抜いたり病気の対応をしたり世話が大切です。

お子さんのおられない方も、何らか育てると良いと思います。

命あるものを愛し育む喜び、成長を楽しむ喜び、関係を楽しむ喜び、実りを収穫する喜びを体験できます。


しかし、人が野菜と違うのは結果が出るのが1年ではなく20年以上かかること。

長い時間をかけ、大変でありながらも楽しみ、わがままな私を苦労しつつも忍耐をもって粘り強く、祈りの中で育ててくれた母の愛はかけがえのないものです。


生んだ以上何があっても支えていこうとする母親の愛は、神様の愛から派生したものです。

産み育てて下さった母親と、神様と、全ての女性に感謝致します。


大塚 信頼


町田カルバリー 家の教会 週報コラム より




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by nobuyori_1 | 2018-05-13 07:35 | 週報のコラム | Comments(0)

もらうのはうれしいが

あげるのはもっとたのしい

さあ こんどは何を持って行ってあげよう

あれこれ考える

そうだ やっぱりあれにしよう

いつかもとてもよろこんでくれた

幾日も前から浮き浮き支度をする

もらうよりうれしいにきまっている

   河野 進

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イエスさまは「受けるよりは与える方が、さいわいである。」と言われましたが(使徒20:35)、「もらうのはうれしいが、あげるのはもっとたのしい。」とは河野先生の名言だと思います。

しかし、あげるたのしさというのは、もらううれしさを前提としているということを、この詩から気づかされます。

そういった意味では、もらう側としては、喜び・感謝する態度を持つことが大切で、それを通してお返しすることになるのです。

人生は与えることと、受けることから成り立っているのでしょう。

与える人は、受ける人や神様から、さらに素晴らしい祝福・幸いをいただくのです。

だから、「してあげる」ではなく、「させていただく」という言葉がふさわしいのでしょう。

さらに、人間のする奉仕は不十分なことばかりです。そんな不十分な奉仕を忍耐と寛容をもって受け止めてくださる相手に、申し訳なさを持つ謙虚さも必要でしょう。


それにしても、神様の恵みは無限大です。

寒い冬を超え、温かな陽射しはどんなに燃料費を払っても足りないでしょう。

主の恵みにただ感謝するばかりです。


町田カルバリー 家の教会 の週報コラム

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by nobuyori_1 | 2018-02-17 13:34 | 週報のコラム | Comments(0)

世界標準の子育て

「世界標準の子育て」(船津徹著・ダイヤモンド社)は、子育て中の方にお勧めの本です。

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アメリカ、中国などで英語教育に携わり4,000人を輩出してきた著者が、世界で行われている子育てから、これからの時代の子育ての基準を打ち出したものです。

著者は、「自信」「考える力」「コミュニケーション力」の3つを育てることがグローバル化の時代を生き抜く条件だといいます。

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お隣の韓国はいち早くグローバル化に巻き込まれた国。

2000年代に入り、サムスン電子、LG電子、現代自動車など、財閥系企業がグローバル化の後押しを受けて、短期間で世界企業へと躍進。

一方、このグローバル化に乗り遅れた若者たちは切り捨てられ、多くの若者が失業し不満がたまります。

教育熱心な韓国人は子どもの教育のため家族でアメリカ移住をするようになりましたが、ハーバード大学、イェール大学などアメリカのトップ大学に通う韓国人学生のうち44%がドロップアウト(途中退学)してしまいました。今まで勉強で負けたことがなかった彼らは、初めて自分より優秀な人間と出会い挫折を経験。

それを乗り越える強い心が育っていなかったからであると分析しています。

そして、日本も今後20年、確実に急速なグローバル化の波に飲まれていくと書かれています。

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この本を通して考えさせられたことは、「世界標準の子育て」には「世界標準の価値基準」が必要だということ。

様々な価値観と情報が入り混じる多様化した社会で、時代や国を超えて変わらない確固とした価値観が土台になければそれは難しい。

そして世界のベストセラーである聖書こそ「自信」と「考える力」と「コミュニケーション力」を育む世界標準の子育ての土台です。

「読書百篇意自ずから通ず」ということわざがあります。

難しい文章でも、繰り返し読んでいると意味がわかってくるという内容ですが、この度文字通り聖書を100回読んだ兄弟(K.E.)が大和カルバリーにおられます。

「これからは回数を目標とすることなく、ゆっくり味わいながら読もうと思う」、と書きながら、年4回のペースで読むそうだから驚きもの。

良書は読めば読むほど味わい深くなるというが、聖書はその最たるものです。

少しでもその恵みにあやかりたいと思います。




より


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by nobuyori_1 | 2017-09-15 08:37 | 週報のコラム | Comments(0)

999ピースのパズル

ある宣教師が、趣味のジグソーパズルに取り組みました。千ピースの富士山のパズルです。

やっとの思いで完成したと思ったら、なんと1ピースが足りないのです。

失くしたのか、元々入っていなかったのか。富士山の頂上部分でした。

しかし、ここまでやったのですから、糊を張って額縁に入れて飾ったそうです。

ある日、友人が訪ねてきました。その友人は、飾ってあるパズルを見た途端に「おかしい、これは変だ。1ピースが足りない!」と言ったそうです。

友人は、999ピース有る、ということではなく、1ピースが無い、ということに目が向いたのです。

わたしたちは、有るものより、無いものに目が向きやすいものです。

でも、見方を変えると999ピースもあるのです。そして、無い無いと言っている残りの1ピースは、実は自分自身の心なのかもしれません。

自分を捧げるとき、この絵は完成するのです。

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                                                 「家族に『神のかたち』を取り戻そう」より抜粋 一部改あり



「神である主は仰せられた。『人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう』」(創世記2の18)。

「助ける」という単語は、ヘブル語の意味は、男性の下位のことではなくて、力強い能力を表わす言語である。

もし結婚初期から自分が夫の足りない面を助けるという覚悟があったなら、結婚生活は多くの面で変わってくるでしょう。

即ち、助け手としての役割をしっかりと果たすためには、まず夫のことをよく知らなければなりません。

夫の足りない点、弱い面を把握する必要があるのです。それらを指摘し、非難し、不平を言ったりするためではなく、それらの面で積極的に補完するためです。


たとえば、夫がスケジュールや約束などよく忘れがちな人であれば、妻がメモしておいて教えてあげます。

忙しくて本を読む時間が足りなければ、代わりに読んで要約し、伝えてあげます。

服のセンスがなければ、コーディネートをしてあげ、素敵な夫を演出してあげます。家事をよくこなすことも、立派な助け手としての働きです。

もうひとつの助け手の役割は、慰めと励ましです。女性の強みは、慰める能力です。

時には母のように、時には姉のように、時には親友のように、妻がそばで勇気を与えるなら、夫はさらに発展し、成長するでしょう。etc

                                  リビングライフ 10月号より イ・キボク女史

*詳しくはリビングライフ7月号の10頁あたりをお読みください。

夫も妻の欠けを補うために存在しています。人間関係は相補関係なのですね。



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by nobuyori_1 | 2017-09-03 07:29 | 週報のコラム | Comments(0)