大塚信頼のブログ


by nobuyori_1
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カテゴリ:三浦綾子語録( 8 )

小さな親切 大きな意味

おもしろいものだね
あくせくして集めた金や財産は、誰の心にも残らない
しかしかくれた施し、真実な忠告、
あたたかい励ましの言葉などは、いつまでも残るのだね

 「続 氷点」


お金に価値を置くのか、愛することに価値を置くのか

前を歩いていた落ちた荷物を拾い、一緒に家まで運んであげた男の子。後に、その親切によって拾ってもらった子は自殺を思いとどまったと聞かされた、という話を読んだ

大きな愛の行為はなかなかできない
でも、小さな親切ならできる
今日出会う人々に、自分から声をかける。
そんなことが、実は命を救うことにつながっているのかもしれない

5つのパンと2ひきの魚を差し出した少年のように、
小さくても、自分ができることをすることには、大きな意味があるのですね
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by nobuyori_1 | 2012-09-03 07:58 | 三浦綾子語録 | Comments(0)

今日という貴重な一日

きょう一日は、あってもなくてもいいという一日ではないのです
もしも、私たちの命が明日終わるものだったら、
きょうという一日がどんなに貴重か分からない

  三浦綾子


晩年の作家の三浦綾子さんは、毎朝目が覚めると「今日は私の命日」と受け止めて
毎日毎日を、もう二度と戻らない貴重な一日として過ごされました。

昨日はもう取り戻すことができない
明日は約束されていない
私たちが持っているのは、今日という現実だけだ

だから今日という日、たとえ死んでも悔いのないよう
心して生きたいと思う

今日突然心臓疾患で手術を受けることになった40代女性のため
朝、みんなで祈りを捧げた
私たちは若くても、いつ突然どのようなことがあるかはわからないのだから
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by nobuyori_1 | 2012-08-21 21:12 | 三浦綾子語録 | Comments(0)

罪人扱い

「キリスト教は,人を罪人扱いにするから、きらいだ」
という言葉を聞く。
しかし、罪ある人間を罪あるということは、何と親切なことではないか。
病気の人を病気だといわずにほおって置いたら、どうなるか
やはり、病気の時は病気だといってもらったほうが、わたしはありがたい

「義人はいない。ひとりもいない」

       三浦 綾子


聖書のありがたさは、罪があること、罪のさばきは地獄であることをはっきりと教えてくれることだ
だからこそ、罪を犯したことを自覚した時、人は地獄に行くことを恐れ、救いを求める

キリストを救い主として受け入れた後でも、
日々罪を悔改め、軌道修正されて正しい道を生きることができる
謙遜にさせられ、キリストの十字架の御業に心から感謝することができる

「罪を罪と感じないことが罪だ」
「鈍感は罪だ」


キリストを受け入れていながら、罪に鈍感になっている自分に気づき、今日悔改めた
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by nobuyori_1 | 2011-09-30 18:00 | 三浦綾子語録 | Comments(0)
「泥棒と悪口を言うのと、どちらが罪深いか」
という問題がある
私の教会の牧師は、ある日、説教の中で
「悪口の方が罪深い」
とおっしゃった

泥棒に入られたために自殺した話は、あまり、私は聞いてはいない
だが、人に悪口を言われて死んだ老人の話や、少年少女の話は時折聞く

わたしたちのないげなく言う悪口は、人をしに追いやる力があるのだ
悪の力だ
泥棒などのような単純な罪とは違う
もっとどろどろとした黒い罪だ

  三浦 綾子


人の悪口をいったことのないものはいないにちがいない
それほど、わたしたちは一人残らず罪深いものなのだ
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by nobuyori_1 | 2011-09-30 18:00 | 三浦綾子語録 | Comments(0)

一生かかって夫婦になる

結婚したからといって、その日から二人は完全な夫婦になったのではない。
夫婦になるためには、毎日努力して、一生かかって夫婦になるのです

   中嶋 正明牧師


愛そうとする努力を一生し続けてこそ、夫婦関係というものは保たれる
結婚とは愛し合うための誓いを立てる時である

自己中心の自分、愛のない自分
そんな自分を認め、悔改め、軌道修正して生きることが肝心なことなのだ

大和カルバリーの修養会の名前の如く
結婚とは”愛修会” (愛を修める会)である
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by nobuyori_1 | 2011-09-29 06:16 | 三浦綾子語録 | Comments(0)
「人間は生きている限り、いかなる人間であっても
使命が与えられている」
という言葉がある。
人からは、どんなにつまらなく見られる人間にも、
神にとっては廃品的存在という人間はいない。


多くの人が「私は何のために生きているのか?」「人が生きる目的は何か?」と考える。
私も、高校生の時、それを求め、本をあさったことがあったが、何も明確な答えが見当たらなかった。
イエスキリストを信じ、聖書に出会った時、初めてこれだ、という明確な答えを発見した。

「自分なんていてもいなくてもいい存在だ」と感じていたのは長いこと。
でも、こんな自分を神が愛してくださっている、
ひとり子のイエスキリストを十字架につけてまで愛してくださったことを知った時、
私は初めて自分が神にとって大切な存在であることを実感できた。
神にとっては廃品的存在はいないんだということを実感できた。
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by nobuyori_1 | 2010-08-26 13:14 | 三浦綾子語録 | Comments(0)

人間はみな孤独だけど

愛する人と二人でいる平和な時にさえ、
人間は淋しいと思うことがあるのです。
別に原因があるのではありません。
人間は生来孤独な存在なのです。


「孤独は田舎ではなく、都会にある」という言葉がある。
集団になじめず、孤独を感じることもあろう
孤独を感じるのは若者だけではない。
高齢化がすすんでいる今日、愛する伴侶や家族を失い、一人淋しく孤独を味わっている人がいる。
夫婦でさえ、分かり合えぬ時、孤独を感じることもあろう

人間は生来孤独な存在である。
淋しさや孤独は自分ひとりだけが経験しているものではない。
多くの人々が人知れず孤独を味わい、生きていることを知る時、慰めを受けるだろう。
そして、生きるということはどういうことかを深く考える機会となる

しかし、神は人間を孤独な存在として造られたのではない。
人間は神と共に生き、他者と共に生きる存在として造られた。
イエスを信じ、神との関係を持つとき、生来持っていた孤独感が埋められる
イエスが永遠に共に生きてくれるからだ
新しい人生、あなたも味わって欲しい
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by nobuyori_1 | 2010-08-26 13:03 | 三浦綾子語録 | Comments(0)

愛は無駄には終わらない

土の上に
  まいた水が
    ただちに乾いて
      しまったとしても、
その水が・・・

その水が土地を潤したことだけは
まちがいなく事実である



人に愛情を注ぐ
それがどのような実を実らしたのか
どのような実を実らすのか
わからないことがある
無駄になってしまったのだろうか・・・

しかし、そのとき、その人の心を潤したことだけは
間違いなく事実である

それが何の役に立たないようであっても
知らぬ間に地下水のように
心の底を潤すものになるのである

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by nobuyori_1 | 2010-08-25 13:59 | 三浦綾子語録 | Comments(0)