大塚信頼のブログ


by nobuyori_1

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人間を救うのは誰か

人間を救うのは人間だ
  
  日本赤十字社


人間を救うのは人間だ と大きく書かれたポスターを見た
気を引くためには十分面白いキャッチコピーだと思う。
でも、なんと危なっかしい言葉だと感じないではいられなかった

震災や津波、原発事故を通して教えられたのは、人間存在のもろさ、機械文明のもろさ、人の欲深さがもたらした災害、国や政府・人の言葉への過信・・そういうものだったのではないか

このような出来事が起こったとしても、なお頼りのない人間に頼ろうとする・・
人間にしか頼らない、頼れない。
それは恐ろしいこと・・

神は我らの避け所、また力である
悩めるときのいと近き助けである
このゆえに、たとい地は変わり、
山は海の真中に移るとも、われらは恐れない
(詩篇46:1~2)

あなたがたは鼻から息の出入りする人に、たよることをやめよ、このような者はなんの価値があろうか。
(イザヤ2:22)


人間を越えた全知全能の神に頼ってこそ、人は強く生きることができるのではないだろうか
人間は人間さえも救えない時がある
他人は愚か、自分さえ救えないあしのようなもろい存在なのだ

人間は自分で選んで生まれてきたわけではない
自分で心臓を動かしているわけでもない
”生きている存在”ではなく”生かされている存在だ”という自覚をもたなくてはと思わされる
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by nobuyori_1 | 2012-05-30 05:37 | 最近受けた恵み | Comments(0)
「太陽と月はどっちが偉いと思う?」
「そりゃ、月だよ」
「どうして?」
「だって月は、暗い中で光って足元を照らしてくれるだろう?
太陽はさ、明るい昼に輝いてるんだもん」(???)
  大川従道


今回のメッセージ前のジョーク、何気に面白かった

そして金環日食の話題、スカイツリーの話題へと続いた

私の撮った写真が採用
それも
「あんなに専門化が「カメラで太陽を見てはいけませんよ」と言ったのに、町田の伝道師(私のこと)はデジカメで撮りました。これです」
なんて言われて・・

今回はこんな写真を見つけましたよ
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ダイヤモンドリング
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by nobuyori_1 | 2012-05-29 07:32 | 最近受けた恵み | Comments(0)
渡辺和子さんが、「置かれた場所で咲きなさい」という本を幻冬舎から出版されました。
渡辺さんが36歳のとき、突然岡山の聖清学園大学学長に任命され、心乱れることも多かったときに、
1人の宣教師が英語の詩を見せてくれました。

Bloom where God has planted you
(置かれたところで咲きなさい)

咲けない日もあります。
咲けない日はどうしたらいいでしょう?
咲けない時は、根を下へ下へとおろしましょう。

私たちは境遇(環境)を選ぶことはできませんが、生き方(態度)を選ぶことはできます。

どんなところに置かれても、花を咲かせる心を持ち続けましょう。

何もできないときはただ笑顔でいてくださいね

  大川従道


この日曜日の礼拝で、心に残った言葉
自分も咲けない時代が長かっただけに、「咲けないときは根を下へ下へおろしましょう」という言葉は心にしみたなあ
咲くことよりも、根を張ることの方が今でも大切だと感じる
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by nobuyori_1 | 2012-05-28 21:30 | 最近受けた恵み | Comments(0)

新しい世代

この国に一つの世代を起こす。
その世代は年齢による世代ではなく、主を求める世代。聖霊の世代。
この世代は人の力に望みをおかず、イエス・キリストに望みを置く。
自分の働きや名声ではなく、イエス・キリストの御名だけを高く掲げる。
自分の栄光ではなく、主の栄光が現されることを願いとする。
主は、人の力によってではなく、ご自分の御腕と熱心さによってこの世代を建て上げる。
この世代は聖霊による一つの流れとなって、激しい勢いとなり、どんな力も、それをとどめることはできない。
     シャローム教会 富田慎吾牧師


富田先生は2年ほど前から、祈りの中でこのような主の語り賭けを受け続けてきたという。
私たちもその世代に入ろう。
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by nobuyori_1 | 2012-05-28 05:42 | 最近受けた恵み | Comments(0)
世界人口70億人に達した現在、
キリスト教を信じている人はどのくらいいるのだろう?
 約20億人

ではプロテスタントの人は?
 約6億人

カリスマ・ペンテコステ系の人たちは
 約7億人
 (カリスマ・ペンテコステ系は、カソリックにもプロテスタントにも、諸派にまたがって存在している)

ちなみに、カソリックでは聖霊の賜物(異言、預言、いやしの賜物)などを教皇が公に認めている
 だから、カリスマ系のカソリックも多く存在する
 修道院によって、その流れは異なったりするらしい
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by nobuyori_1 | 2012-05-27 05:47 | 最近教えられたこと | Comments(0)

イエス様大好き

私は10年前、すごいラブラブで結婚したんですよ
でも10年たって今、もっとラブラブになっているんです
これは聖霊様の助けです

求めても求めても まだ求めたい
愛しても愛しても もっと愛したい
イエス様、大好き


FaceBook にそんなコメントがありました
私は「いいね」とクリックしました
でも、私はそこまでいっているかなと思わされました

もしわが愛する者を見たなら、わたしが愛のために病みわずらっていると、彼に告げてください。
(雅歌5:8)と雅歌書にあります

ここにいる人たちはみな病気ですね
イエス様大好き とか言っちゃう方は皆重病です

  主を慕い求める祈り会 in 静岡


あるユースパスターーの言葉だが、本当に雅歌書にあるようにイエス様との恋に陥っている人たちがいる
同じイエス様と関係を持っていても、親しさが違う
私もそのようになれるだろうか
なりたいと思う
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by nobuyori_1 | 2012-05-26 11:30 | 最近受けた恵み | Comments(0)

主を慕い求める祈り

日本のキリスト教会に今、新しい霊の流れが生まれている。
それは「ひたすら主のみ顔を慕い求める」という集会。
特別なプログラムもなく、講師も招かず、祈りと賛美の中で、ただ主を求める。
主だけを求めるという集会だ。

  リバイバル・ジャパン


自分のクリスチャン暦25年を振り返ってみると、祈りにおいて「主を求める」ということを考えたことは今までなかった。
過去に集めた資料を見返してもほとんどでてこないテーマだ
私にとって、主を慕い求めるということは新しい視点であり、まさに「盲点」であった

今まで、なんと主以外のものを熱心に求めてきたのだろう
そのための方法などを熱心に探求してきたのだろう

主はご自身を慕うことをすべての人に望んでおられる

そのためにあえて、求めるものを与えられないこともある
私がそれによってさらに主から目をそらせてしまうからだ

主ご自身に自分の目を据えること
主ご自身を慕う中(後)で、求める祈りも捧げるのが正しい祈りの姿勢である

私たちは、イエスさまの周りにあるものじゃなくて、イエス様ご自身を求めていきましょう
そしてイエス様を知っている、持っているということは、すべてを持っていることになるのです
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by nobuyori_1 | 2012-05-26 11:08 | 最近受けた恵み | Comments(0)

善悪を知る木とは

「しかし、善悪を知る木からはとって食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」(創世記2:18 神の言葉)
「それを食べると、あなたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを神は知っておられるのです」(創世記3:5 悪魔が女を誘惑した言葉)


神がとって食べてはいけないと言われた園の中央にある”善悪を知る木”
なぜそんな名前がついているのだろう?

そもそも、罪を犯す前は、アダムとエバは非常に高度な知能を持ち、神から示された正しい善悪の基準をもっていたはずである。さらに善悪を知る必要はない。
悪を体験的に知らないから、という意味なら、悪を体験した瞬間に、感覚は狂わされ善が体験的にわからなくなってしまう。どっちかなのだ。

「神のように善悪を知る」とは、善悪の基準を神から与えられたものとして服従するのではなく、自分が善悪を決めるものとなるという意味です。
平たく言えば、「自分のすることの良し悪しは自分で決める。もう神からとやかく言われる筋合いはない」という態度をとることです。
反抗期に突入した子どもが親に対してとる態度と似ていませんか。神中心でなく、自分が世界の中心になろうとしたこと、これが人間の罪の本質です。


最もしっくりいく内容に感じる


それにしても、禁断の木の実はなぜリンゴだと考えられているのだろう?
エデンの園は裸であっても良いほど温暖な気候だったと考えられる
そこに美味しいリンゴはなるものだろうか?

私はバナナが好きなので、禁断の木の実はバナナなんじゃないかな?
・・と勝手な想像をして楽しんでいる
でも、エバが皮をむいた気配はみられないし・・「賢くなるには好ましい」とはあまり見えない・・サルも食べていただろうし・・
「禁断の木の実」ではなく、「私の好み」の話でした・・
どうでもいい話です!
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by nobuyori_1 | 2012-05-25 09:25 | 最近教えられたこと | Comments(0)

今子どもと過ごすなら

「今、子どもと時間を過ごすならば、後で子どもは親と時間を過ごし、
今、子どもを抱きしめるならば、後で子どもが抱きしめてくれる。
今、子どもに興味を示すならば、後で子どもが親に興味を示し、
今、子どもにキスをするならば、後で子どもがキスをしてくれて、
今、子どもに耳を傾けるならば、後で子どもは耳を傾けてくれる。
今、子どもの小さな指にあなたの指を入れるならば、後で子どもがそうしてくれる。」
ある晩、妻が私にそう教えてくれました。

今子どもと時間を過ごすならば、後で子どもは親と時間を過ごします。
私は妻が教えてくれたとおりにしたことで、歳をとった今も子どもたちと親しい関係が続いています。
            ジョシュ・マクドウェル


素敵な言葉だと思う
親と子どもを深くつなぐ原則だ
ジョシュは子どもの世界に入っていったから、今子どもたちが親の世界に興味を持ち耳を傾けるようになっている
親と子どもの関係も、したようにまたされるという人間関係の"こだまの法則”が当てはまるのだ

それにしても、奥さんの助言からジョシュも多くを教えられていることには驚きを感じる
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by nobuyori_1 | 2012-05-24 20:32 | 親子 夫婦 | Comments(0)

家族を犠牲にしない

私は書斎にいました。原稿の締め切りが迫っていました。
2歳の息子が書斎に入ってきました。私は子育ての論の考えもなく、このように対応したのです。
“今、ちょっと忙しいから、夕食のときに話そう”
2歳の子どもは文句をいいません。私は書斎で仕事を続けました。
その3分後妻がやってきて私に指を指してこういいました。
“締め切りはいつもあることだし、原稿も書かないといけないでしょう。契約もあることでしょうし、やることもあるでしょう。でも2歳の息子が質問をするのはもう2度とないことなのよ”
そういうと妻はでていきました。

私ははっと気づかされました。
そのことがあって私はひざまずき、神様にこのように祈りました。
“神様、今日というこの日から、仕事のために家族を犠牲にしません。子ども、妻、家族を先において仕事をすることはしません。”
その時、神様は私に大きな教訓を与えました。私の仕事は私の家族よりも優先されるべきではない。つまり、私の家族こそが私の最優先の仕事なのです。
これはちょっとしたことではなく、とても重要な考えです。
私はこのことに気づくようになり、家族との関係が一変しました。

よく仕事から疲れて帰ってくると黙り、テレビを見て、早く寝ました。
しかし、今では疲れて帰ってきても帰ってからが“働き”の始まりです。
たといいくら疲れていたとしても家族が私の“働き”の対象です。
教会の働きであっても仕事であっても家族を犠牲にしてはいけません。
皆さんの家族こそが皆さんの第一の“仕事”だからです。
皆さんもそうすることで祝福されるでしょう。
    ジョシュ・マクドウェル


今日の”ほっとママの会”の中で語られた講義の一部
ジョシュ先生の正直な体験の分かち合いに、真実なものを感じ、大切なことを教えられます。
ジョシュは最高のお父さんです。
最高のお父さんからお父さんとしてのあり方を教えてもらえることが、今の自分に本当にありがたいです。
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by nobuyori_1 | 2012-05-24 08:53 | 親子 夫婦 | Comments(0)