大塚信頼のブログ


by nobuyori_1
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天国への希望

8年前、求道中、受洗するきっかけを見つけられずにいました。
そんな中、おばの突然の死を迎え、私が遺族代表として挨拶をしました。
その挨拶をする中で、私は神様によって天国の希望を教えられました。

おばの人生は死んで終わったのではない。
地上の務めが終わっただけで、
これからは天国でイエス様と共に永遠の素晴らしい時を過ごすのだ。

そして葬儀でこのように挨拶をしました。

「おばはイエス様を信じていたので天国へ行きました。
私たちもイエス様を信じるならば天国へ行くことができます。
だから、私はおばに”さようなら”とは言いません。
また会いましょうと声をかけたいと思います。」

そして、私はこの挨拶する中で、洗礼を受けるのは今だと思い、その年のクリスマスに洗礼を受けました。

  丸藤 剛介氏(早天メッセージ)


今日の早天祈祷会でなされた証に感動した。
丸藤氏は8年前洗礼を受け、今は人生を主にささげて教会スタッフをされている。
天国への希望・・・それがいかに彼の人生を大きく変えることになったか。
ある意味自分の生涯が保証されたようなものである。
そんな安心感の中で人生を過ごせるのだから、喜び賛美しないではいられない。
それほど大きな喜びと平安なのです。

c0193512_7293133.jpg今日の聖書箇所は復活のところでした。

この朽ちるものが朽ちないもの(復活の体、栄光の体)を着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。

「死は勝利にのまれてしまった。
死よ、お前の勝利は、どこにあるのか。
死よ、お前のとげは、どこにあるのか。」

死のとげは罪である。罪の力は律法である。
しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜ったのである。
だから、愛する兄弟たちよ、堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。
主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。
(コリント人への第一の手紙 15:54~58)


何度読んでも励まされる、第一コリントのクライマックスの部分です。
復活がある、だから全力投球できるのです。
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by nobuyori_1 | 2013-11-28 07:33 | 最近受けた恵み | Comments(0)

今話題の特別養子縁組

c0193512_1037186.png産んでも子どもを育てられない母親。子どもが持ちたくても持てなかった夫婦。
こうした両者を結び付ける『特別養子縁組』という制度がある。

特別養子縁組の特徴は、縁組をすると、戸籍上も“実子”となること。

今、この特別養子縁組で、「子どもを養子に出さざるを得ない」親が増えると同時に、
「子どもを受け入れたい」と希望する人が増えている。
民間団体の調査で、「養子に出したい」との相談件数は705件。
逆に「受け入れたい」との相談は1588件に上った。いずれも過去最高だ。

    TBS 2013.11.7 報道ステーション


「特別養子縁組」という制度の知名度が上がり、特別養子縁組の希望者が増えている。
これは良いことだと思う。
なぜかというと、
第一に”一人の命を(中絶や虐待から)救うこと”になること。かつ”子どもに養育にふさわしい環境を整える”ことになること。
第二に”子どもを望んでいる夫婦に子どもが与えられる”こと。
第三に”産みの親にとって、子どもの幸せを考えた選択である”こと

もちろん産みの母親が育てるのが理想的だが、厳しい現実がある。
ならば、子どもの幸せを願うからこそ、子どもを望む夫婦に託すという選択がある。
"産む という責任"を果たし、"育てる 責任"をお任せするのだ。


最近、赤ちゃん取り違え事件の番組を見たが、”血縁”より”絆” の方が重要だと感じさせるものだった。
親子は血縁によって親子になるのではない。
親子は絆によって親子になっていくものなのだ。
産んだから親子なのではない。
愛情という関係によって親子になっていくものなのだ。

日本人は”血のつながり”を重視しすぎる傾向がある。
それも誤解に基づいている気がする。

ちなみに親と子は”血”はつながっていない。
へその緒で酸素や栄養をやりとりしているだけで、血液そのものはへその緒の中で遮断されており、それぞれ個別のものなのだ。
親の血を子にいれたら、子どもは死んでしまうだろう。血液型は異なっている方が多いからだ。
つながっているのは遺伝子だけなのである。

生物的な遺伝子のつながりより、子どもに必要なのは愛情によるつながりではないだろうか


この背景には、未婚の性交渉、晩婚化、経済的豊かさを求める夫婦・・という社会現象がある。

しかし、不妊治療という身体的・精神的・経済的・可能性的にもリスクが大きい手段の他に、このような選択肢があることは良い事だと思う。

このことがさらに周知され、多くの赤ちゃんの命が守られるように願う。

産みの母、育ての母・・誰より、生まれてくる赤ちゃんの幸せを願って・・
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by nobuyori_1 | 2013-11-26 06:42 | 最近受けた恵み | Comments(0)
c0193512_2023340.jpg先週、夫婦ともども体調を崩した。
夜、布団の中で娘に「OOちゃん、お祈りしてくれる?」と頼むと、「うん、わかった」と使命感に満ちて、布団の中から出て歩いてきた。
私の頭に手を置きお祈りしてくれた。
「イエッチャマ、パパヲナオチテクダチャイ。アーメン!」。
その確信に満ちて祈る姿は、まるで女性伝道者だった。
次の朝、熱は引いていた。

今度は家内が、「OOちゃん、ママのおなかのためお祈りして」と頼んだ。
娘は「わかった」と一つ返事で答えると、ママのおなかに手を置いて祈った。
「イエッチャマ、ママを・・」
祈りが止まった。
と、突然「ササエテクダチャイ、アーメン!」。
あまりに突然飛び出してきた「支えてください」という言葉に夫婦でビックリ!
彼女は祈りの言葉を選んでいたのだ。
2歳の子どもが「支えてください」という言葉を使うとは・・・。
「うれしい~、私支えられたかったの。治った気がする~」と娘を抱きしめる妻。
次の日、胃の調子も良くなった。

昨日は娘と2件の家を礼拝DVDを届けに訪問。帰りに車の中で、
「ヤーダ、帰りたくない」とぐずり、シートベルトをはめさせないで私を困らせた。

それでもシートベルトをしめ走り出すと、
「ヤーダ、ヤーダトイイマチタ。ゴメンナチャイ」
と突然謝ってきた。
反抗している自分に気づき、謝ったのだ
いや人にではなく神様に対して謝ったのだった。
聖霊様のお働きだ。

「心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。(マタイ18の3)」とのイエス様の言葉はどういう意味なのでしょう?
2歳の娘から教えられるこの頃です。


町田カルバリー 家の教会 の週報コラムより
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by nobuyori_1 | 2013-11-23 20:03 | 週報のコラム | Comments(0)

自分を指導する

先週大和カルバリーチャペルで開かれた「グローバル・リーダーシップ・サミット2013」
その中でゲリー・シュワムレイン氏のライブ講演が凄かった。
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教会を導くことは世の組織を導く以上に難しい仕事。
その中で「自分自身を指導する」ことが一番チャレンジだ。
自分をいかに指導していくかを学ぶことは必要不可欠。これ以上難しい仕事はない。
「長期にわたって成功を指導出来る人は、自分を絶え間なく指導できる人だけである」(ドイツ企業リーダーの言葉)

そのために4つの質問を適用していくなら誰でも成功できると語られた。

①あなたは誰を喜ばせようとしているか。誰から評価されようとしているか? 
コロサイ3:23 人ではなく主に評価されるように生きること 

②あなたは人からフィードバック、修正、賞賛などにどれだけ心が開かれているか 

③あなたはメンターを持っているか?
あなたの成長に責任もって確認してくれる人を 

④あなたは時間をどう使っているか?

家族・レク・学び・神との時間を他のことで費やしてしまうなら後で大きな犠牲を払うことになる。

追加として
①自分の得意な分野を見出し、のばしているか?
②レクと霊的刷新に時間を裂いてるか?

自分が空っぽなら何も与えることはできなくなる

と語られた。
これは誰もが生涯大切にするべき内容ではないでしょうか

町田カルバリー 家の教会 週報のコラムより
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by nobuyori_1 | 2013-11-09 21:51 | 週報のコラム | Comments(0)

「なぜ」と問わない

c0193512_2161830.jpg山浦玄嗣先生が『「なぜ」と問わない』という本を書かれました。
著者の山浦先生は岩手県大船渡市在住の医師であり、聖書の四福音書を気仙地方の方言(ケセン語)に翻訳された先生として有名なお方です。
東日本大震災では自ら被災し、不十分な医療環境の中で、医師として何千人もの患者さんを見守り、その話に耳を傾け、一緒に泣いてこられました。
震災後、間もなくして、たくさんのメディア記者が先生を取材に来られました。

その時、最も多かった質問が、
「東北の人たちのように実直で勤勉で立派な人々が、なぜこんな目に遭わなければならないのか。神さまはこういう人たちを、なぜこんなむごい目に遭わせるのか。あなたは信仰者としてどう思いますか?」ということでした。
先生はその質問に驚き、怒りが込み上げてきたそうです。

驚きました。そんなことは夢にも考えたこともなかったからです。
考えたこともないことに返事をしろなんて、全く途方にくれてしまいました。
ところがどういうわけか、来る人来る人みんな同じことを尋ねるのです。
そのしつこさに、だんだん腹が立ってきました。・・・・・・

それで、同級生仲間と何人かで集まったときにその話をしてみました。
「いや、こういうわげでな、おれ、困ってんだども、お前だぢァそんたなごどォ考えっか?」  
聞かれたその友だちも怒りだして言うんです。
「気仙衆ァネズミだってそんたなごどォ考えねァ」 それでみんなで考えました。
「とにかぐ東京がら来る人だぢァ判で押したように同しこどォ語る。なしてだべな?」 
そして出た結論は、「暇だがらでねァが?」でした。

われわれは忙しくてそんなこと考えている暇はない。
今は生きることで大変なのです。 



「なぜ」「なんのために」そのように問うことよりも、私たちがその状況下で神様の御心を行っていく・・
その中からそのことの意義が知らされていくのでしょう。

町田カルバリー 家の教会 週報のコラムより
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by nobuyori_1 | 2013-11-02 21:10 | 週報のコラム | Comments(0)

ハロウィンについて

ハロウィンの仮装って気持ちが悪い。
ハロウィンって何なの?
ハロウィンってどうなの?

ハロウィンはこの1~2年で爆発的に広まりました。私はそれに便乗する人々を非難するつもりは全くありませんので誤解がありませんように。

やっとハロウィンの時期が終わった。
これが私の率直な感想です。
私は正直、あの仮装に何か気持ち悪さを感じないではいられませんでした。
仮装行列、仮装写真・・
知人が親子で血のりの化粧して楽しそうにしている写真を見たとき、ゾッとしました・・
(こういう最初の印象って、慣れてしまうと失ってしまうので大切だと思います。)

「おかしをくれないとおどすぞ」 という考えも、脅しや復讐・暴力を肯定する考えのような気がして、宗教は別としても、教育上良くない気がしています。
事実、アメリカでもおかしをくれないとガラスを割る、車に卵をぶつけるなど悪戯がエスカレートしたり、留学生の射殺事件が起きたりしているわけで・・


覆面かぶって、いうこと聞かないと殺すぞと脅すのは、テロリストや強盗の行為ですが、そのような考えとつながっているような気がします。

少なくとも自分の子どもたちにはそのような価値観を植えたくないように感じます。


私の感性、おかしいでしょうか。
みんながハロウィンに便乗しているのに、このようなことをいうことは間違っているのでしょうか。

こういうことに違和感を感じるのはクリスチャンである私だけなのですかね。
良識ある大人の方々なら少しはわかってくれると思っているのですが。

日本のような知的レベルの高い国で、もっと新聞や一般紙でこういう話題が出るかと思ってたのに、そのような議論もされないまま、商業主義の雰囲気にのみこまれていくことに違和感を感じています。

クリスマスのような愛の精神を伝えるものでもないわけだし・・。

母校の公立の小学校や、学級会で仮装大会があったようですが、公立の学校でそのような企画をするのはおかしいような気がします。
私のように感じている人も仮装しなければならないのですから。子供にとっては半強制です。
楽しんでいる子どもが多いのはわかりますが、私のような子供がいたらどうしますか。
教育界の人がそれをさせるなら、それなりの教育的意味を明らかにすべきでしょう。

教育界でも、有識者からも、大人の人たちがもう少し勇気を出して、まともに議論され、発展することを期待したいです。
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by nobuyori_1 | 2013-11-02 05:27 | 最近教えられたこと | Comments(0)