大塚信頼のブログ


by nobuyori_1
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「トリセツ」

以前、青山のレストランで結婚式の司式をさせていただいた時、
「聖書は人間の取扱説明書です。
なにか問題が起こったらいつもここに戻って聖書を土台にして考えたらきっとうまくいきます」
とお勧めをすると、式後にレストランのスタッフの方が感動しましたと感謝を伝えに来られた。
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 今、女性ファンに圧倒的人気の西野カナさんの新曲「トリセツ」が発表されて大きな話題を呼んでいるそうです。
「トリセツ」とは「取扱説明書」のこと。
新婦の気持ちを歌い上げたほのぼのした歌です。
ご紹介します。





  「トリセツ」    西野 カナ

この度はこんな私を選んでくれてどうもありがとう。
ご使用の前にこの取扱説明書をよく読んで、ずっと正しく優しく扱ってね。
一点物につき返品交換は受け付けません。ご了承ください。

急に不機嫌になることがあります。
理由を聞いても答えないくせに放っとくと怒ります。いつもごめんね。
でもそんな時は懲りずに、とことん付き合ってあげましょう。

定期的に褒めると長持ちします。
爪がキレイとか小さな変化にも気づいてあげましょう。ちゃんと見ていて。
でも太ったとか、余計なことは気付かなくていいからね。

もしも少し古くなってきて目移りする時は
ふたりが初めて出逢ったあの日を思い出してね。

これからもどうぞよろしくね。こんな私だけど笑って許してね。
ずっと大切にしてね。永久保証の私だから。



私の気持ちは、「神様、こんな私ですがこれからもよろしくお願いします」。

町田カルバリー 家の教会の週報コラム
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by nobuyori_1 | 2015-10-15 22:53 | 週報のコラム | Comments(0)

小野路のスカイツリー

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最近、息子(3)とお弁当をもって公園へ遊びに行った。
息子に青いトーマスのヘルメットをかぶらせ、自転車の前のかごに乗せて。
トンネルを超えるとオレンジと白の高い鉄塔があった。

「あ、スカイツリーだ!」と息子。
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「これは小野路にあるからスカイツリーじゃないんだよ」と私が言うと、
「じゃあ小野路のスカイツリー!?」

「あぁ・・そうだね・・小野路のスカイツリーだ」。
私の方が折れてしまった。



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by nobuyori_1 | 2015-10-12 02:45 | 親子 夫婦 | Comments(0)
c0193512_6232561.jpg私がHI-B.A(高校生伝道協会)で高校時代、耳にした忘れられない歌がある。
卒業生の出し物で、確か二人組が歌ってくれたっけ。
私たちの愛(人間の愛)とキリストの愛を対比させて歌った歌。
あの時の衝撃を忘れられない。感動したな~。

あれから聞くことないけれど、森繁昇さんの歌の中で最も好きな一つです。
お聞きください。「無条件の愛」



「無条件の愛」 (コードC)
      作詞・作曲 森繁 昇

1 条件付きの愛 それが私たちの愛
  条件付きの愛 それが私たちの愛

条件付きの愛が 家族に何をするか知っていますね
夫婦喧嘩に兄弟喧嘩 姑と嫁の喧嘩
それに離婚に別居に蒸発 家出 時には殺し

2 条件付きの愛 それが私たちの愛
  条件付きの愛 それが私たちの愛

条件付きの愛が  学校で何をするか知っていますね
いじめに脅し 登校拒否 えこひいき 落ち込み 劣等感
それに校内暴力 妬みに敵意 時には殺し

3 条件付きの愛 それが私たちの愛
  条件付きの愛 それが私たちの愛

条件付きの愛が 私たちに何をするか知っていますか
自慢に高慢 嘘つき 妬み 利己主義 怒りに憤り
人が見てなきゃ 聞いてなきゃなんでもやる 言う 隠れた二心

4 条件付きの愛 それが私たちの愛
  条件付きの愛 それが私たちの愛

条件付きの愛が 天地に何をするか知っていますか
地震に津波 飢饉に台風 落雷・疫病 大惨事
しかしなんとも残念 心が痛む 永遠の滅び

  私たちがまだ罪人だった時に キリストは十字架にかかられた

5 無条件の愛 それがキリストの愛
  無条件の愛 それが神の愛

無条件の愛が 私たちに何をするか知っていますか?
親切 善意に 我慢に忍耐 仲良し平和に赦し
それに一番全く絶対貴重な 永遠の命

6
無条件の愛が 私たちに何をするか知っていますか?
自分の敵への愛 迫害する者のための祈り
それに一番全く絶対貴重な 永遠の命

 たたきなさい そうすれば開かれます
 探しなさい そうすれば見つかります
 求めなさい そうすれば与えられます
 無条件の愛を 与える方に


条件付きの愛 それが私たちの愛
無条件の愛 それがキリストの愛
無条件の愛 それが神の愛
無条件の愛 ・・

それが私のほしいもの
それが私のほしいもの 
That’s what I want



しかし私たちがまだ罪人であったとき、
キリストが私たちのために死んでくださったことにより、
神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
(聖書 ローマ5:8)

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by nobuyori_1 | 2015-10-09 05:54 | 最近受けた恵み | Comments(0)

聖書と性と同性愛

聖書と性(SEX)と同性愛について書いてみたいと思う。
性について益々混沌としてきた時代だからこそ、性についての聖書の教えに耳を傾けたいと思う。
それにより読者に性に対して真の自由を得ていただきたいと願っている。
つたない内容と文章であることをお許しいただきたい。
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1 聖書は性の教科書

「性の用い方について、知りたければ聖書をよめばいい」
 なぜなら、人間に性を与えられたのは神様だから、性の目的、性の用い方を知りたければ、聖書を読めばいい。
 性について聖書が教えているのかと驚く人もいるかもしれないが、聖書こそ、性の手引書であり、今までも性について唯一確かな指針を与えてきたし、現在も与えているものだと思う。

 もちろん、聖書には多様な性のあり方が登場している。結婚関係における性だけでない。独身時代の性、結婚外の性(不倫、売春など)、同性における性(同性愛)、近親における性(近親相姦)、強姦、動物との性、一夫多妻、妾を持つこと、親族の子孫を残すための性・・・・。
 聖書は神と人間との関係を扱うものだが、人間を扱う以上、様々な性のあり方がでてくるのはむしろ当然ともいえるだろう。聖書が人間の2000年近くの歴史を扱っているとすれば、ありとあらゆる性の歴史も登場してくるのは必然ともいえる。
 世界は同性愛・同性婚のことで大騒ぎしているが、聖書を見てみるとそのような歴史を人類はさまざまに通ってきたし、現代よりもっと先(後?)をいっていたし、むしろそのような結果も経験してきたはずである。だが記録が少ないために私たちは歴史から学ぶことができず、歴史の中で過ちを繰り返しているのかもしれない。少なくとも、聖書にはそのような歴史が記録されており、学ぶことが可能である。聖書は私たちが手にすることができる数少ない歴史的資料でもある。

 聖書を読んで誤解しないでいただきたいのは、聖書に登場するからといって、それらの行為がすべて肯定されているわけではないということである。
 人間は結婚相手以外の対象にも無分別に性的に興奮することができるので、様々な性的行動が生まれてくるのであろうが、それらがすべて神の前に良しと肯定されているのではない。むしろ性の逸脱として扱われていることが多い。良くないこととして扱われているのだ。

2 性の目的
 で、結論から言ってしまうと、神が与えた性の目的は 
① 結婚関係において、愛の絆を深めるためにある
② また、それにより子孫を生み育てるためにある

と言えるだろう。

 その根拠は 「その後、神である主は仰せられた。『人が、ひとりでいるのは良くない。私は彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう』」(創世記2章18節)と言われ、男性の助け手(パートナー)として、女性が造られたこと。
そして、二人が結ばれると、「それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結びあい、ふたりは一体となるのである。」(創世記2章24節)と人類の初めての結婚について言及されている。
それによって、人間を創造されてから神が祝福して言われた「生めよ、ふえよ、地を満たせ。」(創世記1章28節)といったことが実現されるようになった。
ここに、結婚の原型(モデル)があり、性の目的がある。

現在、結婚の枠組みを変えよう(同性婚、誓いはなし、複数と自由に関係結べる等)とする動きがあるが、それは文明を後退させることである。
今の結婚の枠組みが最も優れた秩序ある形であることを忘れてはならない。
結婚という枠組が、二人の愛を育む安全な場所となり、健全な子どもが育つ基盤となる。
2人の生涯の愛と献身の誓いが結婚の本質である。
いくら結婚の壁が高いからといって結婚の壁を崩したら、実質上結婚とは呼べない。
結婚を破壊させることは国を崩壊させることである。(結婚の破壊=家庭の破壊=人間の破壊=社会の破壊=国の崩壊) 
互いの高い献身が必要だからこそ、結婚なのだ。
単なる友人、愛人、セックスフレンド、同棲と違うから結婚なのだ。

性について問題にすると、「どこまではしていいのか、してはいけないのか」という道徳論になりやすい。「これは罪なのか、いや罪にならないのではないか」みたいな建前と本音(欲?)のせめぎあいみたいな議論が続く。

しかし、神が性を造られた目的ということから考えるなら、非常にシンプルに考えることができる。
神が性を与えた目的に沿っている用い方なら良いものだし、沿っていない用い方は良くないものである。

神様の戒めは、私たちを愛し幸せを願ってのものであり、私たちを縛るためのものではない。
結婚関係における性こそ、神が目的とされた祝福された性であり、聖なるもので、それ以外の性は逸脱ともいえる。

3 マスターベーションについて

しかし、これにも例外がある。
聖書はマスターベーション(自慰行為)についてはほとんど触れていない。
キリスト教の歴史の中で、聖書解釈の間違い(オナンの罪=オナニーと勘違い)で自慰行為を罪とした時代もあったが、近代の研究で自慰行為は自他に対して害がない。むしろ積極的な効果もあると認識され、キリスト教でも容認されるようになった。これは、聖書で扱っていない分野に対して、時代と共に見方が変わった例である。

大方のキリスト教では「穏やかなマスターベーション」で性的な処理をすることは容認されている。
だからそれは安らかな気持ちで受け入れればいい。


穏やかなといったのは、過激なマスターベーション(ポルノ、道具を使う、ひたるなど)は、罪や悪い誘惑、依存症、やるべきことができなくなる、性的不能の陥るなど様々な害があることがわかっているからである。
それらのものからは遠ざかるよう気を付ける必要がある。

4 同性愛について

同性愛については、「同性愛的傾向」と「同性愛的行為」を区別する必要がある。
人間は、思春期は同性に魅かれる時代を通って、異性愛へと昇華され成長していくと聞いたことがある。そういう意味では両性愛的要素を誰もが持っているともいえる。しかし成長過程で同性愛者の犠牲になったり、異性を恐れるゆえにハードルの低い同性と関係を結んだりして、同性に対して性的に目覚めてしまうこともある。
神さまはもちろん、同性愛的(あるいは両性愛的)傾向を持つ「人」、同性愛的行為をする「人」も変わらずに愛しておられる。
しかし、同性愛的「行為」に関しては本来の性のあり方や目的からして逸脱しているという点で、やはり罪の一つになるだろう。

たとえ同性愛的行為をしたことがあっても、キリストによって赦されない罪は一つもない。
主の前に告白し赦しを受けることをお勧めする。
同性愛的行為については聖書に明らかに書かれていることであり、私は保守的と言われてもそのように扱うことがその人の真の幸せ、神のかたちとしての真の人間性の回復、神の祝福にあずかることにつながると信じている。

WHOでは、同性愛を治療の対象から外したそうだが、だからといって、同性愛が正常になったということではないだろう。
(その辺りに誤解があるような気がする)
その意味するところは、同性愛が変えにくい障害であるから、治療の対象とするのではなく、そのまま受け入れていこう、
または、同性愛者をこれ以上偏見や差別で苦しませるのをやめていこう、ということではないだろうか。


できれば変えられたいと治療を求める同性愛者も存在する。
その人にとっては、治療の対象とされないことはかえって希望を奪うことになる。
同性愛的傾向が傷やトラウマからきているものなら、傷やトラウマの癒しと同時に変えられていく可能性はあるだろう。
発達がなんらかの原因で妨げられたままになっているのならば、当然、それが取り除かれれば、さらに成長していくことが起こるだろう。
現に変えられた人の証があると聞く。
希望する人には、治療の道があるということは、大切なこと、必要なことなのだ。

しかし現実的に性的志向はそう簡単には変えられない事も知っている。
むしろ同性愛的傾向を持った人や両性愛的傾向を持った人は一生涯、そのまま生きることになるかもしれない。
たとえそうであっても、同性愛的行為を慎んで一生を過ごせるならば問題はないし、神さまの愛を確信して異性愛者と全く変わらず祝福された信仰生活を送ることができる。


同性愛者の性や結婚との関係について、同性愛者がどう生きていけばいいのか、どう考えていくかという問題は、難しさの伴う問題であり、キリスト教会の課題である。
これからも聖書の上に立ちつつ、考えを深めていきたい。





















  

 

 

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by nobuyori_1 | 2015-10-05 06:30 | 最近受けた恵み | Comments(0)

くりとくり

秋ですね
お母さんと子どもたちが幼稚園の企画で、栗林に栗拾いに行って帰ってきました。
すると同じ日に、大家さんも、栗をくださいました。
くりとくり。我が家は栗だらけになってビックリ!

そして、それが夜の料理となりました
栗ごはん そして、生クリームと混ぜたマロンクリームのデザート
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深みとコクがあり、
ケーキ屋さんのモンブランの味とそっくり!
あまりにおいしくて、たちまちぱっくり!

ずいぶん作ったんですね。ご苦労様でした。
あとはごゆっくり~。
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そこで、味わい深い”くりとくり”の歌をどうぞ


「くりとくり」
作詞:石津ちひろ 作曲:濵田理恵

くりと くりが
さんぽの とちゅう
ばったり であって
びっくり
  (びっくりくり)

くりと くりは
きょうだいみたい
ふたりは ほんとに
そっくり
  (そっくりくり)

くりと くりが
なかよく なって
おしゃべりをする
じっくり
  (じっくりくり)

くりと くりが
きょうそうをして
おいしい あんぱん
ぱっくり
  (ぱっくりくり)

くりと くりは
おなかが いっぱい
きゅうに はじまる
しゃっくり
  (しゃっくりくり)

くりと くりが
ゆうやけ みながら
あるいて いるよ
ゆっくり
  (ゆっくりくり)

くりと くりは
もう かえらなきゃ
さよなら なんて
がっくり
  (がっくりくり)

くりと くりは 
ごはん たべたら
すぐ ねむくなる 
こっくり
  (こっくりくり)

くりと くりが
つぎのひ またまた
ばったり であえて
びーっくり

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by nobuyori_1 | 2015-10-01 06:01 | 最近受けた恵み | Comments(0)