大塚信頼のブログ


by nobuyori_1
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説教と祈り

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メッセージより重大なものはメッセージを伝える人です。
説教者の語るすべての言葉は、その説教者の生き方によって評価されます。
結局、説教は説教者以上のものではなく、説教者以上のものにはなれないのです。

ひとりの人を造り上げるのに20年かかります。
ですから、一つの説教を造るのに20年かかるというわけです。
真の説教とは生きることに関わっているのです。その人が成長すれば、その説教も成長し、その人に力があって初めて、その説教も力にあふれます。
その人がきよければ、その説教もきょく、その人が豊かに神から油を注がれているならば、その説教も神の油を豊かに注ぐものとなるのです。

説教者の一番鋭く、一番力強い説教は、自分自身に向かって語られるべきです。
彼の最も困難で、デリケートな、骨のおれる、そして徹底的な働きは、自分自身に対する働きであるべきです。

真の説教は祈りの部屋でつくられます。

いのちを奪う説教とは霊的でない説教です。


いかに真理であっても、それだけでは命を与える力はありません。
その真理が、神の御霊によって力を与えられなければ、何にもならないのです。

妨げになっているのは説教者の自我です。
自我がその至聖所を支配しています。
自己に死に、世に対して十字架につけられ、自分のたましいに産みの苦しみを味わわなければなりません。
十字架につけられた説教だけが、聞く人にいのちを与えます。
そして十字架につけられた説教は、ただ十字架につけられた人の口からだけ語られるのです。

その説教によって神の目的を間違いなく果たせるような説教は、その主題聖句から前置きに至るまで、祈りの中から生まれ、祈りの精神と力によって語られ、説教者の祈りによってその時から久しい時が過ぎた後にも聞いた人の心の中に続いて働き続け、芽を出し、生き生きとした力を保ちつづける説教でなければならないのです。

説教は心で語らなければならず、また会衆は心で聞かなければなりません。
 牧師はその心によって、会衆を自分に結びつけ、導いていくのです。

もし、私たちが本当に祈りさえするなら、一時間の祈りによって書斎で多くの時間をかけて学びうること以上の者を学ぶことができるのです。

聖霊の油注ぎを受けることこそ説教の方法です。

説教者は人々のため、ただ救われるようにというだけでなく、完全に救われるようにと一心に祈るべきです。

説教者が祈るということも、説教者のために祈るということも両方絶対に必要です。
会衆は説教者がその恐るべき責任を果たすために、またその重大な働きにおいて、最大のそして最も真実な成功を得るために、あらんかぎりの力をふりしぼって祈らなければなりません。

                    (祈りによる力 E・M・バウンズ著)

これを読むと説教というものがいかに大変なものであるかがわかります。

一回の説教のためには20時間の準備を必要とし、一回の説教のエネルギーはは8時間労働に匹敵すると言われます。
15分の説教も、35分の説教も必要とする準備の時間や段取りは変わりありません。
むしろ短いほど、削ったりまとめるのに苦労したりします。

でも、説教の準備の一番骨の折れる部分は、自分が切り刻まれることではないでしょうか。
それを自我が嫌がります。そのような自分を捕まえ、自我に死ななければ真の説教の準備は始まらないのです。
説教は単なる聖書勉強ではないので、簡単にできた試しがありません。

ですから説教者のために、お祈りしましょう。

これは人の力ではできません。
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by nobuyori_1 | 2016-03-16 01:35 | 最近教えられたこと | Comments(0)
私の知り合いのお坊さんが、3月11日に電話すると、福島へ祈りをささげに行っていた。
感動した。さすが、自分のできることをしっかりとされている。

キリスト教の牧師は一体何ができるのだろう・・・。
もちろん、亡くなった方のために、また残されたご家族のために神様にお祈りすることができる。
明日は、<3.11 5周年記念礼拝>
神の前に憐れみを求めて、教会員と共にお祈りさせていただこう。


しかし、私たちには<福音>がゆだねられている。

晴佐久昌英神父は一滴の曇りなく宣言する。
「津波で流されてしまった人は、今どこにいるんですか?」
「もちろん、救われて天国へいます。」
イエス様が十字架ですべての人の救いをすでに成就して下さったので、天国にいるんですよと。



大川従道牧師もはっきりと宣言する。
「イエス様を信じる人は天国へ直行します。イエス様を信じない人は、全員今よみにいます。
イエス様はよみで福音を伝え、その愛によって心柔らかにされ、多くの人はイエス様を信じて天国へ行くことになるでしょう。
私はそう信じます」


震災後、沈黙するしかない現場で、共に苦しみ祈り、神のメッセージを語り続けた神父、牧師たち。
自らの実存をかけて福音を語ってきた神父、牧師たちの苦しみの中で生まれた珠玉のメッセージ集。
耳を傾けてみませんか。

「齧られた果実(かじられたリンゴ)~だいじょうぶニッポン~」(大川従道著 キリスト新聞社)
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「恐れるな ~3.11後を生きる~」(晴佐久昌英著 日本キリスト教団出版局 TOMOセレクト)
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by nobuyori_1 | 2016-03-12 20:45 | 最近受けた恵み | Comments(0)

祈りの時間

私たちが個人的に神と交わる時には時間の長短がその価値を決定します。
神との交わりに、多くの時を費やすことが、祈りにおいて成功する秘訣なのです。
大きな力と感じられるような祈りは、神との交わりに多くの時間を費やしたことの間接、または直接の結果です。
私たちの短い祈りが目的を果たし、効果を上げることができるのは、すでに長い時間その前に祈っていたためなのです。
長い時間続けて神と力いっぱい格闘して価値を得た人でなければ、短くても勝利を手にできるような祈りをすることはできないのです。

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神と親しくなるということは、そんなに急にはできないのです。
神は、その賜物をたまにちょこちょこっとやってきて、また帰っていくというような人に与えてくださいません。
多くの時間、ただひとり、神と共に交わることこそが、神を知り、また神の御心を動かす秘訣です。
神はご自身を知る信仰が確固としている者にご自分をゆだねて下さいます。
主はたゆまずまた熱心にしつこく求めることによって、すばらしい賜物を心から望んでおり、またそういう賜物の価値を正しく評価していることをはっきりあらわしている人に対して、最も豊かな賜物をお与えになるのです。

キリストはこの点でも他のことと同じように、私たちの模範ですが、いく晩も祈りつつ夜を明かされました。
多く祈ることが主の習慣でした。
                              

ジョン・ウエスレーは毎日2時間を、祈りのために使いました。彼は朝4時から祈り始めたのです。

マルチン・ルターは「もし私が毎朝2時間祈れなかったら、その日一日はサタンにしてやられてしまいます。私にはあまりたくさんの仕事があるので、一日に3時間は祈らなければどうしてもやっていけないのです」と言いました。

アズベリー監督は「私は出来る限り、4時に起きて祈りと黙想に2時間使いたいと考えています」と言いました。

サムエル・ラザフォードは祈りの中で神と交わるために、朝3時に起き出しました。

                         (祈りによる力 E・M・バウンズ著)



過去の聖徒たちは決まって、夜は早く寝て、朝3時から4時に目を覚まし、祈りの時間を2~3時間持つのが習慣だったのです。

私も最近、3歳と4歳の子どもが一緒に寝たがるので、夜8時に寝るようになりました。
すると、朝の3時半ごろ必ず一度目を覚ましてしまいます。
なぜでしょう?すでに7時間半も寝てしまったからです。

それから、聖書を読んだり祈りに入るか、再び眠るか、そこが選択です。

昔の聖徒も、そのような生活をしていたのかなと感じます。
今も修道院ではそのような生活をしているそうです。

朝早く、誰にも邪魔されない時間に、祈り過ごせたらいいですね。
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by nobuyori_1 | 2016-03-12 18:25 | 最近教えられたこと | Comments(0)

みことばと祈り

みことばをよく読まず、祈ることも少ないのは、霊の生活の死を意味する。
みことばだけを知っていて祈らないのは、病的な生活である。
みことばもよく知り、祈る時、初めて健全な祈りの生活と言える。

イエスはその祈りの生活で二つのことを明らかにされた。
第一は、みことばが祈りの材料を与え、神から何事をも期待する力を与えること。
第二は、神の言葉をすべて自分に実現する生活は、祈りによってだけ得られることである。

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さてこの御言葉と祈りとに至る道は何だろうか。ただひとつしかない。
すなわち、私たちの生活を一変することである。
言い換えれば、今まで地上のものに飢え乾いていたが、今度はそれ以上の熱烈さで神と神の言葉を求め、健康な天上の生活を求めることである。
肉の力は強く、霊的力は弱い。
そこで、聖霊の力ある働きによって、神が私たちの内に力強い新しい生活を与えられるという確信に、私たちは導かれなければならない。

                      (祈りの生活 アンドリューマーレー著)


初代教会の弟子たちは、みことばと聖霊の両方に満たされた弟子でした。
そして聖霊に満たされるためには、祈らなくてはなりません。
みことばと聖霊、これはキリストの弟子の二つの翼なのですね。 
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by nobuyori_1 | 2016-03-09 14:03 | 最近教えられたこと | Comments(0)

美しき大室山と富士山

伊豆の大室山にも桜が咲いていました。春ですね。
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大室山は雪山のような冷たい風が吹く 
必ずはおるものを持ってロープ―ウェイに乗りましょう
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海と富士山 眼下に広がる 壮大な景色
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中国の方に写真を頼む シェイシェイ 私たちこそ中国人? いや天国人です。 
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山上を一周 太陽と白い歩道 空と山と海の織りなすところ ここは不思議な場所です
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暖かい飲み物(ホットカルピス)がとても美味しく感じられました
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by nobuyori_1 | 2016-03-07 02:45 | 親子 夫婦 | Comments(0)